謝罪

 田口ランディーさんの戦後日本のあり方に関する記事を読んで、考えさせられてしまいました。

 「ヒロシマ」をテーマにした小説を執筆中の田口さんは、原爆について考えれば考えるほど分からなくなることがあるそうです。

 それは「核爆弾を落とされたのに、ほんとうにアメリカを恨んでいないのか?」ということ。どうも恨んでいないのだよ。私は。そういう気持ちがないようなのだ。自分の心の中をあれこれ点検してみたのだけれど。それよりは、戦争に突き進んでいった日本の軍人の人たちへの怒りのほうが大きい気がする。たぶん受けた教育によるのだろうと思う。

 確かにそのとおりかもしれません。私も同じような感情を持っているような気がします。
 でもこれは、田口さんが言うように受けた教育によるものではないような気がします。

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 だって、サングラスをかけてパイプをくわえて飛行機のタラップを降りてきたマッカーサーは日本人の羨望の的だったし、戦後間もない焼け野原を走るアメリカ進駐軍のジープに、日本の子供たちが「ギブ・ミー・チョコレート」と叫びながら駆け寄ったわけです。

 現在のイラクの状態と比較すると、全く逆の状態といえるかもしれません。

 暴君フセインに圧迫されていたイラク市民たちが、自らの手で暴君の銅像を引き倒せたのは米軍によるフセイン政権制圧作戦があったからです。にもかかわらず、現在まで続くイラク市民たちの強い反米感情にはかなり違和感を覚えていました。しかし、ある意味この方が正常なのかもしれません。
 フセイン政権を倒す、という大儀があったにせよ、米軍の攻撃によって罪のない市民が多数巻き添えになったのは事実です。大切な家族や友人・恋人を失った人々の悲しみと怒りは全く当然の感情です。
 ほぼ同じ状況の戦後間もない日本において、アメリカ軍があこがれの対象になっていたことの方が異常なのです。

 その理由はなんだろうと考えて、思い当たったのは「天皇」のことです。イラクの「フセイン」と並べて考えてみると、何か見えてくるような気がします。ただ、これはかなりデリケートな話題なので浅はかな知識で詳しく書くことは避けます。

 もうひとつ、これは考えると怖くなってきますが、私が親から聞かされたり、さまざまなメディアで目にする「マッカーサー」や「進駐軍のジープ」のエピソードさえもが、田口さんの言う「戦後日本の教育」に含まれるものだとしたら、つまりアメリカと日本の一部の上層部によってコントロールされた結果だとしら...。

 恐ろしいことです。

 


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