情報の賞味期限

「情報の賞味期限」がどんどん短くなってきている、っていうのをどこかで聞きました。

インターネットの普及とブログの登場によって情報を発信する人の数が爆発的に増え、情報の広まり方がそれまでとはまったく違うものになってしまったそうです。旬の情報は一気に広まりますが、その旬は極端に短く、また別の「旬の情報」へと人々は移動していきます。
ちょっと前にすごく話題になった話なのに、もうずいぶん昔のことのように思えるってこと、増えてませんか?

僕の情報収集源は Feed Reader です。最近は livedoor Reader を愛用しています。気になるニュースサイトやブログを見つけたらドンドン登録し、ショートカットキーを使って情報のシャワーを浴びるように流し読んでいきます。
その中で気になったものは「はてなブックマーク」したり、最近では Tumblr にポストすることも多くなってきました。
大量の情報が僕の中を通り抜けていって、その中で引っかかったものが「はてブ」や「Tumblr 」にクリップされ、それらのクリップが作用しあって増幅したときに、こうしてブログに記事を書く、というのがパターンになっています。

そういう意味で Tumblr の Dashboard は、良質な情報のシャワーを浴びながら、クリップと情報発信とコミュニケーションを同時に行うことができて、ものすごい場所だってことが言えます。

その一方でこんな話が気になっています。

 小説以外のメディアが小説を超えているように見えるのは、それらのメディアの提供する情報の総量が、圧倒的に小説を超えているからじゃないかと僕は思っています。それから伝達のスピードが、小説なんかに比べたら、もうとんでもなく速いですね。おまけにそれらのメディアの多くは、小説というファンクションをも、自己のファンクションの一部としてどん欲に呑み込んでしまおうとする。だから何が小説か、小説の役割とは何か、という本来的な認識が、一見して不明瞭になってしまっているわけです。それは確かです。
 でも僕は小説の本当の意味とメリットは、むしろその対応性の遅さと、情報量の少なさと、手工業的しんどさ(あるいはつたない個人的営為)にあると思うのです。それを保っている限り、小説は力を失わないのではあるまいか。時間が経過して、そのような大量の直接的な情報が潮を引くように引いて消えていったとき、あとに何が残っているかが初めてわかるのだと思います。(「村上春樹、河合隼雄に会いにいく 」129ページ)

なにを隠そう、僕はいまだに携帯電話を持っていないという、いまの日本ではもう天然記念物的な存在なわけですが、そのお陰で出張の電車の中などでは本を読んでいることが多いです。情報雑誌を読むこともありますが、小説を読むことのほうが多いです。文庫本はかさばらないし、なによりも時間が長持ちします。
そして村上春樹さんがおっしゃるように、いい小説を読んだとき、こころにずっしりと残る、ことばにすることがとても難しい、あのよくわからないものって、いつまでたってもずっしりと残ってるんです。

どっちがいいとかどっちが悪いとかじゃなくて、いまの僕にとっては「どっちも」大事です。たぶん「どっちか」だとあんまりよくないような気がします。


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2 コメント:

  1. Kamimura 2007年5月23日 20:50

    >ちょっと前にすごく話題になった話なのに、もうずいぶん昔のことのように思えるってこと、増えてませんか?

     ホントにそんな気がしますね。
     数日前のことなんて、すっかり大昔ですね。
     驚きです。

     村上春樹さんの引用からちょっとインスピレーションを貰ったので、ちょっと投稿を書きました。

     ではでは。

     
  2. H & A 2007年5月23日 21:46

    引用した文章とはいえ、インスピレーションを与えることができて光栄です。