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ホームランになりたい

中学一年生の夏休みに1ヶ月間、アメリカのウィスコンシンのある家庭にホームステイした。隣の家にも同じ国際交流団体の世話で日本からやってきた女の子がホームステイしていたけど、期間中あまり交流することはなくて、ほとんどの時間をその家の家族と、それもそのほとんどをその家の二人の兄弟と過ごした。

こんな機会をつくってくれた両親には、今でもとても感謝している。

出発前になによりも不安だったのは、不思議と、ことばか通じるかどうかということではなくて、ホームステイ先の家族と仲良くなれるかどうかだった。

日本に帰ってきてから、初めてむこうの家族と対面した会場で、初めて撮った僕とその家族の集合写真を見て、うちの母親が「こんな笑顔の写真は今まで見たことがない」と、しばらくのあいだ写真立てに入れて部屋に飾ってあったくらい、出発前の僕の不安はその家族に出会った途端に解消されていた。

その家族の住む家は、小川の流れる大きな森やトウモロコシ畑や、ひろい芝生の丘のあるドでかい敷地に建っていて、僕とその家の兄弟は、その小川で釣りをしたりプールで泳いだり野球をしたりして過ごした。少年野球のチームに入れてもらって、いくつかの試合に出場させてもらったり、長いドライブをして米軍の航空ショウを観にいったこともあった。

そんなふうにして、あっというまに1ヶ月間がすぎて、もうあしたお別れだという日。僕はこの家族と別れたくないと、心の底から思った。どうしてお別れしなくちゃいけないんだろう、とも思った。自分がそんな感情を持ったことが不思議なくらいだった。

お別れの当日。僕ら日本人の子供たちが乗ったバスのまわりを、それぞれのホストファミリーたちが見送りのために取り囲んでいる。あとで僕がそのバスに乗り込むところを撮った写真を見たら、僕は「この世の終わり」みたいな、死にそうに悲しそうな顔をして写っていた。

バスが走り出したとき、窓の外に家族の姿を見つけた瞬間に、僕は声を上げて泣いた。窓の外に身を乗り出して、家族のみんなと握手をした。みんなの姿が見えなくなってからも、僕はしばらくのあいだ窓の外を見て泣いた。

日本に帰ってきてから、僕はこんなに強い感情を持つことはなかった。どちらかというと、僕はあまりおもてに感情を見せないタイプにうつってるかもしれない。それとも冷たい人間だと思われてるかもしれない。自分でも自分は冷たい人間なんじゃないかと思うこともあった。

でもそんなとき、あのときあの激しく強い感情を抱いたことを思い出して、僕は自分で、僕は大丈夫だと思うことができるんだ。

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