偶然と、自然と、

コピーとは何かとかコピーライトとは何かとか、オリジナリティーとかクリエイティビティーとか、真のオリジナルってなんだ?とかについて考えてみる。

いろんな意見はあるだろうけど、僕としては基本的にほぼすべてのクリエイテビティーは、なにかしらのコピーのうえに成立っていると思う。

たとえば、ある高校生が仲間とバンドを始めるとき、いきなりオリジナル曲があるはずもないので、まずはバンドメンバーが好きな曲をコピーすることになるだろう。著作権うんぬんの話を抜きにすれば、高校生バンドにコピーされたミュージシャンは悪い気はしないどころか光栄な気分だろう。だって自分たちだってコピーバンドから始めたはずだから。

コピーしていく中でスキルをあげていって、いずれはオリジナル曲を作ることになるだろう。でもそのオリジナル曲だって、作者である彼の大好きなあのバンドのあの曲や、あっちのバンドのあの曲に似ていたりする。そんなのあたりまえで、その曲やその詩は、その人がそれまで生きてきたなかで見聞きして頭の中に蓄積されたものを組み立ててアウトプットしたものなんだから。

これじゃ完全なオリジナルなんてありえないじゃないか、と思えるかもしれないけど、でも実はそんなことはない。

あるテレビ番組で世界的なウェブクリエイターの製作現場を密着取材していた。このひとが製作にあたって掲げる信条は「試行錯誤を、楽しみつくす」だ。とにかく最初の着想に基いて、あれでもないこれでもないと思いつく可能性をすべて試してみる。当然、膨大な作業量になる。でも「試行錯誤を、楽しみつくす」。悲壮感はまったくない。

そうやって試行錯誤を繰り返していくと、あるとき製作者でさえ予想していなかった思いがけないものが出来上がることがある。それは、ある「試行」とある「試行」が思いがけない組み合わせでぶつかったときや、あるいは試行錯誤を繰り返すなかで生じたミスによって生まれたりする。

その番組の中でウェブクリエイターが最終案として採用したのは、試行錯誤を繰り返して疲労したことによって、偶然生じたプログラミングミスが引き起こした、思いがけない動きをするプログラムだった。

ひとが何かを突き詰めて考えていったり、なにかにのめりこんで作業に没頭するとき、思いがけない何かが生まれることがある。なにかが降りてきた瞬間、とでも言おうか。
さまざまな問題が複雑に絡み合って、とうてい解けるはずもないと思いながらも、それでもしつこく考えて作業を続けていったとき、とてもシンプルにすべての問題をすっきりと満たす答えが「降りてくる」ことがある。

そんなとき。やっぱり「神」はいるような気がする。

きっとそんなふうにして「オリジナル」は生まれる。そして、ひとが「オリジナル」を生み出すとき、なにか「偶然」が絡んでると思う。

そしてもうひとつ、完全なオリジナルは「自然」の中にある。有能な科学者や芸術家が、何かに憑かれたように「自然」を観察しスケッチするのは、そのあたりに理由があるんだろう。


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