THIS IS IT

きのう見てきました。

前半は僕の好きだったアメリカが出てきて
口をあんぐり開けてアメリカに憧れてた頃のことを
ぐるぐると思い出しながら見ました。

ダンサーオーディション。
アメリカンドリーム。
若くて腕利きの女性ギタリスト。
ショーほど素敵な商売はない。

これでもかってほどのショー演出に圧倒される。
ホンキートンクピアノが好きだったあの頃。
すごく大変そうだけど、みんなすごく楽しそうだ。
人生がきらきらと輝いて見えたあの頃。
僕の好きだったアメリカ。

後半は、ただただMJのパフォーマンスに圧倒され続けた。
この人が、この数ヵ月後に死んでしまったことが
理解できているようで理解できないような変な感じ。
こんなに繊細に緻密に力強くやさしく
そして謙虚にショーの準備に取り組みながら
夜には強い鎮痛剤を打って睡眠をとる。

延々とこの繰り返し。

きっと毎日ものすごいプレッシャーと戦っていたんだろうと思う。

最後にスタッフたちに
「不安になることもあるだろうけど
このまま続けていけばちゃんと大丈夫だから」
みたいなことを語りかける場面があるけど
あの言葉はきっと自分に対して毎日語りかけてた言葉だろう。

あらためて、ものすごい才能を失ってしまったことに気づいた。

いまさらだけど、ご冥福をお祈りします。

Posted at 時刻: 11月 19, 2009 on 2009/11/19 | 0 コメント | Filed under:

ブラタモリ

ブラタモリの銀座の回。今朝見ました。おもしろかった。

実はこの番組は、もう何回か見てたのに
タモリ倶楽部のほうが数倍面白いなぁ、
なんてことを思ってたんですが、これは面白かった。
ごめんなさい。

いま「ほぼ日」で「アメートーーーーク」つくってる人の
インタビュー記事が連載されてるけど
その中で「タモリ倶楽部」はタモリさんのオーラを消すために
わざわざ所帯の小ささを表現する演出してる
という話が出てきたけど
ブラタモリはNHKの番組で
当然そういうことではないわけで
これでいいのですね、わかりました。

ということでブラタモリのタモリさんは
オーラでまくりで、サされまくりの握手しまくりで
着てる服はパリッとしてるわけです。
わかりました。

この銀座の回。タモリさんが
「冒頭でこんなこと言うの悪いとは思いますが
銀座にはまったく興味ありません。」
みたいなことを言ったところで
いきなりこれまでと違いました。

これをとても自然に言わせたNHKの演出は
ちょっとスゴいかもしれません。

その後、番組が用意した筋書き通りに
まったく興味のなかった銀座に
グイグイ引き込まれていく
タモリさんの様子が映されていきます。

それと同時に、見てるこちらも
タモリさんと一緒に引き込まれていきます。

案内してくれる先生から漂うB級感もいい感じです。
(きっと、とても立派な先生だとは思いますが)

その先生が繰り出すネタが
どれもこれもすばらしかったです。

明治初期、もうすでに立派な繁華街であった銀座に
1万5千人もの住人を住まわせるために
計画的に設けられた路地裏空間。

喫茶店の中を通り抜ける路地。

歩道を広げることによって
大通りの向こうとこちらを近づけ
通りの一体感を生み出し
さらに江戸時代の道幅を再現する
都市計画のお手本のような手法。

いつか「銀ブラ」してみたいなぁと思いました。

Posted at 時刻: 10月 25, 2009 on 2009/10/25 | 2 コメント | Filed under:

こころの容器

仕事で、家庭で、友人とのつきあいで、
みんなどこか少し麻痺させてることが
あるような気がする。

たとえば仕事で
いままで自分が経験したことがないような
自分の能力でこなせるのか不安なほどの
巨大なボリュームの案件に
立ち向かわざるを得ないとき。

医者が患者の体にメスを入れるとき。

営業マンが
客が欲しがっていないのをわかっていながら
購入をすすめるとき。

地下通路で
ホームレスの人たちの横を
通り過ぎるとき。

冗談だよって言いながら
やんわりと悪口を言われたとき。

大好きな両親がケンカしてるのを見るとき。
 
たしかになにか感じてるはずなんだけど
どこか感覚を麻痺させて
なにごともなかったように過ごしていく。

たとえばそれを「訓練」と呼ぶ。
たとえばそれを「強さ」と呼ぶ。
たとえばそれを「巧さ」と呼ぶ。
たとえばそれを「したたかさ」と呼ぶ。

だけど。

なにかが「こころの容器」の中に
入ってきてしまわないように
どれだけ上手に無視したり麻痺させたりしても
それでも少しずつ容器の中に溜まっていって
いつか溢れてしまうときがくるんだと思う。

そして僕らは、そこから逃げだすことはできない。

Posted at 時刻: 7月 21, 2009 on 2009/07/21 | 0 コメント | Filed under:

DropBox × SugerSync

僕はもうずいぶん前から DropBox ユーザーで、もう容量が足りなくなってきていて、いろいろとやりくりしながらフリー版で使い続けているのですが、いったいなにに使っているのかと言うと、

で書いたように、自宅の MacBook と職場の PC の Firefox のプロファイルを同期させるのがメインです。まったく同じプロファイルを使うわけですから、ブックマークから機能拡張からパスワードからグリモンのスクリプトから Stylish のスタイルシートまで全部魔法のようにピッタリいっしょです。

それまで使ってて、開発が止まってしまって残念がっていた Google Browser Sync なんて、いったいなんだったんだよってくらい見事な同期ぶりに日々涙を流しております。つー。

たまぁにトラブってFirefox が起動しなくなったり(爆)もしますが、Safari などの別のブラウザで DropBox のサイトにアクセスして、直近に更新されたファイルの Revision をいくつか Restore すると、機嫌よく起動してくれます。
Firefox2 から 3 へのバージョンアップも乗り越えてきました。

ということで DropBox ラブ!な僕なのですが、最近登場した SugerSync というサービスが気になっています。
同期したいファイルは必ずDropboxフォルダの中に入れなければなりませんでした。
「元の場所に置いたままオンラインにバックアップしたいファイル」「別PCとは同期しなくても良いけどオンラインにはバックアップしておきたいファイル」
DropBox でプロファイルを同期するためには、ちょっとした小技を使う必要があるのですが、SugerSync ではもっと簡単にできそうです。しかし、もう DropBox でうまくいってるんだから、もう一回やり直すのも面倒だなぁ、ということで現状どおりで行くつもりです。

プロファイルのデータはチマチマとこまめに書き換えられるので、DropBox のアイコンの青い矢印がグルグル回っているのを「お、やってるやってる。」と温かく見守るのも嫌いじゃないし(むしろ好き)。

もし興味を持った方は、両方とも増量キャンペーン中ですので、この機会に試してみられてはいかがでしょうか。以下のリンクから登録していただくと、僕の容量もちょっとアップするのです。ウィンウィンな感じで。

Posted at 時刻: 6月 29, 2009 on 2009/06/29 | 0 コメント | Filed under: ,

探しても出てこなかったんだけど、

探しても出てこなかったんだけど、だいぶ前によくタンブラーのダッシュボードで見かけた、テレビ番組のキャプチャーかなにかで、神経質そうな男の人が苛立った表情のワンショットで、下に「会社休んできてるんだから、時給払うのくらいあたりまえでしょう。」みたいなキャプションが入った画像。

授業参観かなにかに出席した親が、学校に対して言ってるみたいだった。

あの画像がたくさんリブログされて、何度も何度もダッシュボードに現れたのは、きっとみんながあの発言に違和感と覚えたからだと思った。

最近話題の梅田望夫さんが日本のネットに唱えた異議は、僕らがあの、いわゆる「モンスターペアレント」の発言に感じた違和感と同質なものだろうと思っていた。

だから、みんなが梅田氏を厳しく非難するのがいまいち理解できなかったんだけど、今日いちるさんの「日本のネットが「残念」なのは、ハイブロウな人たちの頑張りが足りないからかも知れない:小鳥ピヨピヨ」を読んで、ようやくみんなの怒りの正体がわかった気がした。

ライブドアの堀江氏がほぼ国策によって叩きのめされ、そっち方面の世渡り術には長けていそうだった楽天の三木谷氏までもが怒りを抑えようともしない状態に陥っている昨今、僕らの側にいると思っていた梅田氏までもが「なんだよ結局オマエもそっち側かよ!」ってことだったんじゃないかと思う。

だとしたら僕が梅田氏に望むことはただひとつ。いちるさんの一文。

日本の「最先端・最高峰な一流の人」たち、ハイブロウでエスタブリッシュメントな人たちを、ネットの世界に引きずり込んで、日本のネットをより高尚にするというプロジェクトを開始してみてはいかがでしょうか?
高速道路の車が走らない部分を「すめるじゃん」とおもって住み始めてみた的な目を持ち得た日本人のネットヒップスターより愛を込めて。

Posted at 時刻: 6月 06, 2009 on 2009/06/06 | 4 コメント | Filed under:

都市の匿名性とインターネット

僕らはまず、生まれてすぐは家族の中だけで過ごす。そこは、自分と血のつながった、ごく近しい人たちだけの世界だ。そのころは、自分のまわりにいるすべての人が自分のことを知っている状態だ。

しばらくすると、親戚や、家族の友達と顔を合わすことになる。人見知りをして泣いたりすることにもなる。しかし公園などで遊ぶうちに、だんだんと他者との関り方に慣れていき、幼稚園にあがるころには自分から知らない友達に話しかけることもできるようになっていたりする。

小学校・中学校・高校・大学と進学していくにつれて、自分のまわりの他者の数がどんどんと増えていく。大きな高校や大学では、入学してから卒業するまで、同じ学内にいながらも一度も顔を合わすことのない人もいるだろう。

そして社会に出たとき、他者との関わりは爆発的に増えることになる。まったく知らない人のところへいきなり行って、飛び込み営業しなきゃいけないこともあれば、まったく知らなかった人が突然お客さんになったり、仕事のパートナーになったりもする。

そんな他者との関わりの中で日常を過ごしながら、ふと都市の雑踏の中に立ったとき、まわりにあふれるほど人がいるのにも関らず、自分のことを知っている人がひとりもいないことに気づく。満員電車の中で、息が吹きかかるくらいそばに立っている人のことを、上手に無視することができるようになっていることに気づく。地下通路にいるホームレスの人たちの横を、まるでその人たちは存在しないみたいにして通り過ぎることだってできる。そして、自分だってその対象であることに気づく。

そんなふうにして僕らは、巨大な都市の中で不思議な匿名性を獲得することになる。それは喪失感や孤独感と同時に、不思議な居心地のよさを感じさせる。

インターネットで匿名でいることの是非が議論されることがあるけれど、僕はどちらでもいいかなと思っている。ただ、少なくとも、インターネット上に名前や住所や電話番号が公開されたとしても、ひっきりなしに電話がかかってきたり、ポストがダイレクトメールであふれたり、知らない人が突然たずねてきたりすることはないと思うので、なんの心配もないだろうとは思っている。でもそんなことをすると、ちょっと頭のおかしい人だと思われるおそれがあるのでしないけれど。本名だけは、ちゃんと探せば見つけることができる程度に公開している。

ただ、都市における不思議な匿名性の存在を知っているので、みんながインターネットの世界で匿名でいたがる「気分」は理解することができるような気がする。あの不思議な居心地のよさを知っているから。そしてそこには同時に、喪失感や孤独感があることも知っているから。

Posted at 時刻: 4月 24, 2009 on 2009/04/24 | 0 コメント | Filed under:

「Share」するということ

タンブラーの設計の根底にある考え方のひとつに「Share」があると思います。

それは純正のポスト用ブックマークレットの名前が「Share on Tumblr」であることから分かります。もう少し言葉を加えれば「Share your love & hate on Tumblr」ということになるでしょう。

この「Share」という言葉は「分かち合う」とか「共有する」などと和訳されることがありますが、実際のところ欧米では、和訳されたその言葉の響き方よりも、もっとカジュアルで気軽な印象が強いような気がします。

アメリカでは、親元を離れて大学生活を送る学生たちが、学生同士で部屋を「Share」することが多いです。複数のベッドルームを持つ部屋を複数人で借りて、そのベッドルームをそれぞれの個室として使い、バス・トイレ・キッチンは共有して家賃を折半するわけです。

もともと気の合う友達同士で「Share」することもあるでしょうが、YMCA などへ行くと、「Share mate」つまり、部屋を「Share」する相手を探す張り紙を見つけることがよくあります。先にひとりで広い部屋を借りてしまったのか、それとも、元々いた「Share mate」がなにかの都合で出て行ってしまったのかもしれません。いずれにしても、見知らぬ相手同士が部屋を「Share」することも少なくないことがよくわかります。

不動産事情も違うので単純には言えないかもしれませんが、日本ではこのように部屋を「Share」している学生は少ないように思います。きっと「Share」することで発生するわずらわしさを嫌う学生が多いのではないでしょうか。そういう傾向が強いことを見越して学生用のワンルームマンションが多いのかもしれません。

欧米の都市においては、窓の外の街路に向けて花を飾っている家が多く見られます。また集合住宅では、洗濯物を街路から見えるところに干すことが規制されていることもよくあります。

街路は都市に住む住民たちの共有物であり、広場は住民たちそれぞれの第2のリビングルームであり、オープンカフェは第2のダイニングルームであり、そこから見える景観を美しく保つのは、住民たちそれぞれの義務である、という考え方が、ごく自然に根付いているようです。

伝統的な日本の都市では、街路と住宅の敷地とのあいだには背丈よりも高い塀を設けて中が見えないようにして、その中を美しくしつらえていました。もちろん塀の外側も汚いことはないのですが、そこには「拒絶」が見え隠れして「Share」という考え方からは程遠いことが感じられます。

マンションのバルコニーには洗濯物がカラフルにはためき、欧米人はその景観をみて「カオス」だとか「エネルギッシュ」などと評します。もちろんそこには良さも悪さもあり、どちらが良くてどちらが悪いということではありません。文化の違いだと考えるのがいいと思います。

タンブラーでは、「Share」の手法として「Reblog」の他に「like」というものがあり、欧米の人たちは「like」する傾向が強いように思います。もちろんさまざまな要因があるのでしょうが、おそらく「Share」する文化の人たちの「気分」としては、「like」のほうがより自然なんだろうなぁと思っています。

Posted at 時刻: 4月 23, 2009 on 2009/04/23 | 0 コメント | Filed under:

「意識」「無意識」

だいぶ前に見た「プロフェッショナル」に日本茶のブレンドをしている人が出てました。
このひとのスゴいところは、茶葉の目利きの技術。それも「化ける茶葉」を見つける技術のようでした。そして、安くて「化ける茶葉」と、それと相性のいい茶葉をブレンドして、低価格でも高級感のある茶葉を生み出すことをモットーにしていました。

このひとの目利きのコツがおもしろかった。もちろん、手で触ったり香りを吸い込んだり、お茶として出したときの色や味も確かめるんだけど、「化けるお茶」を見つけるときは、横目で、視界のスミに入るか入らないかくらいの位置で、見るともなしに見てるときに、葉っぱに呼ばれるのだそうです。

「呼ばれる」まえ、ちゃんとその葉っぱに正対して、触ったり香りをかいだり味を確かめたときにはなんにも感じなくて、パスしてたのに。そんな葉っぱが「化ける」そうです。
その「横目でチラ見」に、人間の「無意識」の「カン」の力を感じずにはいられませんでした。

最近この「無意識」の力のことばかり考えてるような気がするんだけど、考えれば考えるほど、これは考えても仕方ないことだなと思えてきます。

「意識」「無意識」ということで言えば、ちょっと前にタンブラーでこんな話があった。僕が無理矢理にそっちの話にしてるんだけど。

Posted at 時刻: 3月 23, 2009 on 2009/03/23 | 0 コメント | Filed under: , ,

グリーン・ニューディール

NHKでやっていた「グリーン・ニューディール」の番組を見ました。

「グリーン・ニューディール」とは、アメリカのオバマ政権が打ち出した政策の一つで、「グリーン」は環境を表し、「ニューディール」は、1930年代にルーズベルト大統領が世界恐慌を克服するために行った、ダムなどの公共事業に巨額を投じるなどの一連の経済政策のことを表しています。

つまり、石油に頼ったエネルギー構造を、太陽光や風力などの環境配慮型へと転換することにより、新たな産業と雇用を生み出し、さらには社会構造までも変えてしまおうということです。

そんな話は今までにもよくあったし、そんなのうまくいくのかなぁという印象がありますが、この番組を見た感じでは、大きな変化が起こりそうな気配を感じさせられました。大げさに言えば「IT革命」に続く「環境革命」の予感です。

石油に代わるエネルギーとして筆頭に上げられるのは電気ですが、発電した電気を貯めておくことが難しいため、発電所の発電量は必要量のピークにあわせなければならないという、大きな問題がありました。電気をためておくためには巨大な電池があればいいのですが、莫大なコストがかかってペイしなかったのです。

しかし技術の向上によってこれまでよりもずっと高性能で低価格の燃料電池が開発され、電気自動車が市販に向けた準備段階に入っています。
さらに政府による普及促進政策によって一気に普及する可能性を秘めています。

ただ、いくら電池の性能が上がってコストが下がったからといっても発電所で発電した電気を貯めておいてペイできるほどではありません。

そこで将来家庭に普及した電気車の燃料電池を利用するという構想があるそうなのです。つまり乗っていないあいだの車は、その家やその町の「足りない発電量」を補うための電池となるのです。

こういう構想自体は昔からあったのかもしれませんが、実用化できるレベルにまで技術が進歩してきたということのようで、すでにある町で実験的に運用され始めているそうです。
ブッシュ政権下のアメリカは、経済活動の足かせになると環境対策には否定的でしたが、ハリケーンや山火事の被害によって市民の環境問題への関心がどんどんと高まり、そんな市民たちは抑圧された状態でした。しかしオバマ政権に変わって環境政策が180度転換し、堰を切ったように流れが変わりはじめています。

そろそろ、この流れに乗っていくための準備をしたほうがいいのかもしれません。

Posted at 時刻: 3月 22, 2009 on 2009/03/22 | 0 コメント | Filed under:

「天国のような状態」

数年前から大尊敬している建築家 五十嵐淳氏が、昨年末に建築雑誌に発表した「天国のような状態」という文章がずっと頭から離れない。

いや、正確に言うと文章というよりもそのタイトルだ。文章自体は斜め読みした程度だから。だって、そのときはそんなにすごい文章だとは思わなかったから。

しかし、あとからじわじわと効いてきた。

氏の言う「天国のような状態」とは、光、温度、湿度、気流、香りなど、感覚が受け取る情報において全てが完璧な状態のことだそうだ。

近作で試みられているのは、(いや、実はもうずいぶん前から無意識にここを目指していたような気もするが)主に光環境の天国化だ。

つまり、外部から室内に入る光をすべて間接光化し、室内全体が柔らかい一様なひかりで満たされた状態にする。 ごく簡単にいうと「ぼんやり」した感じだ。

間接光にする手段としては、屋内に巨大なひかり溜まりを作り、そこに向けて大きな開口を設ける方法と、2メートルほどの間隔をあけて設けられた巨大な開口部にオーガンジーのカーテンをかけて光環境を多層化して拡散光化する方法が試されていて、どちらも文句なく気持ち良さそうな空間に仕上がっている。

「天国」
なんて強烈なキーワードだろう。
しばらくは頭から離れそうにない。

Posted at 時刻: 3月 13, 2009 on 2009/03/13 | 0 コメント | Filed under:

きのうのテレビ

古い歌謡曲の番組。

「おニャン子クラブ」の中にいた高井麻巳子は
ひとりだけ浮き上がるみたいにかわいかった。

おニャン子以外でもいろんなアイドルがみんな
時代感とか色あせた感じとか垢抜けなさみたいなものを感じさせたのに対して
高井麻巳子だけは今の時代にそのまんまでトップレベルにかわいかった。

おそろいの服着てるのにひとりだけ古くない。

あれはなんだか不思議な感じだった。

「今」の高井麻巳子がどんなか見てみたいな。

Posted at 時刻: 2月 28, 2009 on 2009/02/28 | 0 コメント | Filed under: ,

「ネット時代の音楽表現とは」とは

昨日の朝、NHKの「生活ほっとモーニング」に坂本龍一さんが出演していました。ナタリーで情報を得ていたので、録画したものを今朝見てみました。

この番組に坂本龍一さんが出演していることに果てしない違和感を感じつつ見ることになりましたが、しかしいつもの得意のユルふわトークを繰り出しながら微妙で絶妙なバランスで番組に馴染みつつ、プライベートな写真も持ち出しながら、とてもフレンドリーな雰囲気をかもし出していました。「おふくろの味が好き」という企画で、番組が用意した「おふくろの味」を再現したカレーライスを一口食べて「やっぱりお母さんのカレーの方がおいしいです。」なんてコメントしたりして。

これまでもダウンタウンのコントに「アホアホマン」として登場するなど、ユルい部分を垣間見せてきてはいたものの、それでもやはりYMOをやっていた頃のトンガったイメージがどこかに残っていたいたような気がします。

しかし昨日の教授は、どこもかしこもユルくてフレンドリーで親しみやすくてやわらかい、フツーのおじさんみたいだったよー!!

これを見て僕は、教授の中で何かが完全に変わったのを感じました。それと同時に、変化のきっかけとなる出来事に思い当たりました。それはまず、昨年末の朝日新聞のインタビューの中にあります。

この中で教授はこう語っています。
レコードからCD、ネット配信へと媒体が進化し、複製と流通コストが下がったことで、1曲あたりの販売単価は下がった。簡単にコピーやダウンロードをできるようになり、違法な複製も日常化した。音楽の経済的な価値は限りなくゼロに近づいてしまった。これは予想していなかった
媒体がネットへと移行するのを全面的に肯定し、自らのライブを無料でストリーミング配信したり、Chain Music などの取り組みなどもしてきた教授の「これは予想していなかった」という言葉には重みがあります。

そして最後にはこんなことも言っています。
音楽家は、一握りのヒットメーカーを除いて職業とすることは難しくなるだろう。ぼくはメガヒットメーカーには入れない。口うるさい古本屋のオヤジになって、ブログとかを書いているかもしれない。あるいは学校の先生になって音楽について教えているかもしれない
この言葉には悲壮感さえ漂います。しかしこの流れに反対しているわけではなく、完全に受け入れようとしているのを感じます。しかしただ「これは予想していなかった」ということなのです。

そしてこのインタビューの少しあと、アメリカの iTunes でこんな発表がありました。
DRM フリーというのはつまり、コピーフリーということです。現在、日本の iTunes で販売されている楽曲にはプロテクトがかけられていて、コピーできる PC や iPod の台数に制限があります。これがフリーになるということは、購入したらそれをコピーして人にあげようが、法的にまったく構わないことになります。
これがつまり、教授の言っていた「音楽の経済的な価値は限りなくゼロに近づいてしまった」ということなのです。

この流れを受けて、タンブラーの中でおもしろい発言を見つけました。誰のコメントかよくわからなくなっていますので、僕がクリップしたのを貼っておきます。
とりあえず言えるのは商業音楽家は終了のお知らせだとおもいます。本当の意味で音楽やりたい人=音楽家という時代がやってきたってことですね
「商業音楽家は終了」というのはちょっと違うような気がしますが、「本当の意味で音楽やりたい人=音楽家」には全面的に賛成です。
1877年(明治10年)にエジソンが蓄音機を発明し、その後その技術が徐々に発展して一般家庭にレコードプレイヤーが普及した頃から「音楽をつくらずに売るだけの人たち」が登場し始めました。それ以前、音楽はその場で演奏されるものだったのです。

その出来事以来、本来の音楽家と「音楽をつくらずに売るだけの人たち」との摩擦があったのだと思います。ミュージシャンの「レーベル移籍」などがそうだと思います。
そしていま、音楽家たちの環境は「蓄音機以前」の環境へと近づくことになります。「蓄音機以前」と違うのは、プロモーションに必要なコストが限りなくゼロに近いことです。そして「蓄音機以前」と同じなのは、価値を持つのはライブ演奏だけ、ということです。

しかしまだこの先、「予想できない」ことがたくさんありそうな気もします。

Posted at 時刻: 2月 14, 2009 on 2009/02/14 | 2 コメント | Filed under: , , ,

Mac と Win の Firefox を完全に同期させる

気がついたら、1月は一つも記事を書いてなくてビックリしてます。
死んでたわけじゃなくて、ちゃんと生きてまして、それなりに忙しくしてます、仕事以外で。
そんなそれなりに忙しい日々の中で、ついに我が家に MacBook がやってきました。まえの iBook が壊れてから何ヶ月間か家にパソコンのない期間が続いたのですが、その間、僕はそれほど困らなくて、かえって家でパソコンに触る時間がなくなって、いろいろと充実した時間を過ごせてるかも、なんて思ってたところに悲鳴をあげたのが家内でした。

クックパッドなんかで料理のレシピを調べたり、その他いろんな調べ物ができなくて困る、と。
ということで、アップルの整備済製品に掘り出し物がないかチェックする日々がしばらくあったのですが、なかなかタイミングが合わなくていい製品にめぐり合えず、たまたま覗いたアマゾンに中古で手ごろな値段の2年落ちの MacBook White があったので購入しました。届いてみて中古とは思えないまっさらな外観にビックリで、たいそう満足しております。

そしてデータの復旧やいろいろな設定調整などを行ったのですが、いろいろと言いながらも Firefox の調整がほとんどです。職場で使ってるウィンドウズの Firefox といかに同期させるかポイントでした。Google Browser Sync の開発が止まったいま、困ってる方がたくさんいらっしゃるようで、調べてみた結果ここにたどり着きました。

Profile データをすべて完全に共有してしまうという、つまりテーマもアドオンも履歴もパスワードも各種設定も含めて全部まるごと同期してしまうという、かなり荒っぽいやり方で、本当に大丈夫なのか不安はありましたが、魔法のようにうまく行くという話だったのでやってみました。これでいいんなら今までのあれはなんだったんだ、とか思いながら。

Windows Live Sync を使った方法と上のリンク先の方法を見つけて、最初は Live Sync のほうでやってみました。というのも、Live Sync は同期する Profile フォルダーをWin・Mac 双方で指定するだけで簡単だったからです。Dropbox を使った方法の profile.ini を書き換えるところに敷居の高さを感じたのです。

しかし、Live Sync では双方のパソコンがアクティブでないと同期ができないという致命的な欠陥が見つかりました。我が家の Mac Book は家族全員でアカウントを分けて共有しているので、つねにアクティブにしておくのは不可能なのです。

それで敷居の高さを感じつつも Dropboox の方法を試してみることにしました。profile.ini の書き換えも思いのほか簡単にでき、快調に同期できています。それはもうほとんど魔法のように。Firefox 2 から 3 へのバージョンアップも乗り越えました。その後、profile.ini を書き換えなくてもシンボリックリンクを使えばいいことを知りましたが、とりあえずうまく行ってるのでこのままで。

最後に注意点を。ブラウザのキャッシュを0にしておくこと。Dropbox でキャッシュフォルダーを同期対象からはずすような設定ができればいいのですが、それはできないようなので。こうしないといつも Dropbox のアイコンがグルグル回ります。最近のパソコンの性能や通信環境であればキャッシュなしでもストレスなく表示できるはずです。

それから、定期的に Dropbox の Profile フォルダーを覗いて、Firefox が溜め込むコピーデータを消去すること。ファイル名のあとに(パソコン名's conflicted copy 日付)となっているのがそうです。これは溜めておくとけっこうな容量になるので消してしまって大丈夫なようです。

ということで、最近また家族から「おとうちゃんパソばっかさわってる。」と言われるようになりました。

Posted at 時刻: 2月 08, 2009 on 2009/02/08 | 0 コメント | Filed under: , ,