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「ネット時代の音楽表現とは」とは

昨日の朝、NHKの「生活ほっとモーニング」に坂本龍一さんが出演していました。ナタリーで情報を得ていたので、録画したものを今朝見てみました。

この番組に坂本龍一さんが出演していることに果てしない違和感を感じつつ見ることになりましたが、しかしいつもの得意のユルふわトークを繰り出しながら微妙で絶妙なバランスで番組に馴染みつつ、プライベートな写真も持ち出しながら、とてもフレンドリーな雰囲気をかもし出していました。「おふくろの味が好き」という企画で、番組が用意した「おふくろの味」を再現したカレーライスを一口食べて「やっぱりお母さんのカレーの方がおいしいです。」なんてコメントしたりして。

これまでもダウンタウンのコントに「アホアホマン」として登場するなど、ユルい部分を垣間見せてきてはいたものの、それでもやはりYMOをやっていた頃のトンガったイメージがどこかに残っていたいたような気がします。

しかし昨日の教授は、どこもかしこもユルくてフレンドリーで親しみやすくてやわらかい、フツーのおじさんみたいだったよー!!

これを見て僕は、教授の中で何かが完全に変わったのを感じました。それと同時に、変化のきっかけとなる出来事に思い当たりました。それはまず、昨年末の朝日新聞のインタビューの中にあります。
この中で教授はこう語っています。
レコードからCD、ネット配信へと媒体が進化し、複製と流通コストが下がったことで、1曲あたりの販売単価は下がった。簡単にコピーやダウンロードをできるようになり、違法な複製も日常化した。音楽の経済的な価値は限りなくゼロに近づいてしまった。これは予想していなかった
媒体がネットへと移行するのを全面的に肯定し、自らのライブを無料でストリーミング配信したり、Chain Music などの取り組みなどもしてきた教授の「これは予想していなかった」という言葉には重みがあります。

そして最後にはこんなことも言っています。
音楽家は、一握りのヒットメーカーを除いて職業とすることは難しくなるだろう。ぼくはメガヒットメーカーには入れない。口うるさい古本屋のオヤジになって、ブログとかを書いているかもしれない。あるいは学校の先生になって音楽について教えているかもしれない
この言葉には悲壮感さえ漂います。しかしこの流れに反対しているわけではなく、完全に受け入れようとしているのを感じます。しかしただ「これは予想していなかった」ということなのです。

そしてこのインタビューの少しあと、アメリカの iTunes でこんな発表がありました。
DRM フリーというのはつまり、コピーフリーということです。現在、日本の iTunes で販売されている楽曲にはプロテクトがかけられていて、コピーできる PC や iPod の台数に制限があります。これがフリーになるということは、購入したらそれをコピーして人にあげようが、法的にまったく構わないことになります。
これがつまり、教授の言っていた「音楽の経済的な価値は限りなくゼロに近づいてしまった」ということなのです。

この流れを受けて、タンブラーの中でおもしろい発言を見つけました。誰のコメントかよくわからなくなっていますので、僕がクリップしたのを貼っておきます。
とりあえず言えるのは商業音楽家は終了のお知らせだとおもいます。本当の意味で音楽やりたい人=音楽家という時代がやってきたってことですね
「商業音楽家は終了」というのはちょっと違うような気がしますが、「本当の意味で音楽やりたい人=音楽家」には全面的に賛成です。
1877年(明治10年)にエジソンが蓄音機を発明し、その後その技術が徐々に発展して一般家庭にレコードプレイヤーが普及した頃から「音楽をつくらずに売るだけの人たち」が登場し始めました。それ以前、音楽はその場で演奏されるものだったのです。

その出来事以来、本来の音楽家と「音楽をつくらずに売るだけの人たち」との摩擦があったのだと思います。ミュージシャンの「レーベル移籍」などがそうだと思います。
そしていま、音楽家たちの環境は「蓄音機以前」の環境へと近づくことになります。「蓄音機以前」と違うのは、プロモーションに必要なコストが限りなくゼロに近いことです。そして「蓄音機以前」と同じなのは、価値を持つのはライブ演奏だけ、ということです。

しかしまだこの先、「予想できない」ことがたくさんありそうな気もします。

コメント

  1. 音楽から経済的な価値を取り除くと、残るのは芸術的な価値ですね。売れる音楽ではなく、いい音楽。聴衆にとっても、音楽家にとっても、いい時代がやってくるかもしれませんよ。

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  2. Hit さん、コメントありがとうございます。

    そうですね。
    いい方向へ転がってくれることを祈るばかりです。

    返信削除

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