こころの容器

仕事で、家庭で、友人とのつきあいで、
みんなどこか少し麻痺させてることが
あるような気がする。

たとえば仕事で
いままで自分が経験したことがないような
自分の能力でこなせるのか不安なほどの
巨大なボリュームの案件に
立ち向かわざるを得ないとき。

医者が患者の体にメスを入れるとき。

営業マンが
客が欲しがっていないのをわかっていながら
購入をすすめるとき。

地下通路で
ホームレスの人たちの横を
通り過ぎるとき。

冗談だよって言いながら
やんわりと悪口を言われたとき。

大好きな両親がケンカしてるのを見るとき。
 
たしかになにか感じてるはずなんだけど
どこか感覚を麻痺させて
なにごともなかったように過ごしていく。

たとえばそれを「訓練」と呼ぶ。
たとえばそれを「強さ」と呼ぶ。
たとえばそれを「巧さ」と呼ぶ。
たとえばそれを「したたかさ」と呼ぶ。

だけど。

なにかが「こころの容器」の中に
入ってきてしまわないように
どれだけ上手に無視したり麻痺させたりしても
それでも少しずつ容器の中に溜まっていって
いつか溢れてしまうときがくるんだと思う。

そして僕らは、そこから逃げだすことはできない。


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