俺はまだ本気出してないだけ

底抜けに絶望的。底が抜けてしまってるので、これが絶望なのかどうかわからなくなっている、というわけではなさそうな感じです。

僕がよく行くカレー屋さんは、とてもクリエイティブなカレーの味もさることながら、おいてあるマンガがどれもこれも風変わりで、それを読むのも楽しみのひとつなのですが、そこで読んで一気にハマってしまったマンガです。

主人公は40歳になって唐突に会社を辞めて自分探しを始めてしまったシズオ。辞めた1ヶ月後に漫画家になることを思いつき、しかし描くことがないことに気づいて愕然とします。自転車をこぎながら「いつのまに俺は、こんな『残念な感じ』になっちゃったんだ……!?」と思惑にふけり、「チッキショーッ!」と叫びながらコケて歩道橋の階段から落ちながら、イケてる未来を思い描いていた過去の自分の姿が走馬灯。

多かれ少なかれ、僕も含めたアラフォーおやじはみんな、思い描いていた未来と今の自分とのギャップを心に抱えていると思います。スミからスミまでダメダメで、誰がどう見ても絶望的なシズオですが、「残念な感じ」の自分を何とかするためにもがき苦しむ姿は、「残念な感じ」を受け入れることで通りすぎようとしているその他大勢のおやじたちよりカッコよくも見えます。

自転車でコケて怪我をして、頭にネットをかぶりながらマンガを書く後ろ姿に、おやすみの声をかけにきた娘に「俺をなめんなよ。本当の実力見せてやる!」と凄んで、ちょっと小馬鹿にされながらも「ずいぶんカッコイイね。」と言われてます。

「あれ? 俺もなんかやらなきゃ?」みたいな。

ところで、シズオが描くマンガとこのマンガの絵が似すぎていて、軽くクラクラくるのは僕だけでしょうか?

上のエピソードは第1巻の第一話「走馬灯」の内容なのですが、アマゾンの「中身検索」で読むことができます。興味のある方は下のリンクからどうぞ。

俺はまだ本気出してないだけ 1 (IKKI COMICS)
発売元: 小学館
メーカー: 小学館
価格: ¥ 620
発売日: 2007/10/30

Posted at 時刻: 12月 18, 2010 on 2010/12/18 | 0 コメント | Filed under: ,

RIEDEL "O"

このまえ参加したオフ会で、夏頃にご自宅での夕食会にご招待していただき、美味しいワインと料理をふるまってくださった「あとりえむ」さんと話していたら、その夕食会で僕のそれまでの「ワイン感」を根こそぎ掘り返して焼け野原のようにしてしまったあのワインは「それほど高いものではないんですよ」とか「安くて美味しいワインを探すのが趣味なんです」とか「普段飲んでるのなんてどれも1000円以下のものばかりですよ」などとおっしゃる。いまいち納得できないままお話をうかがっていると、ちゃんと種明かしがありました。
つまりそれは、「でもね、うちで使っていただいたあのワイングラスはどれもかなり高いものなんです。」ということで、ワイングラスによってワインの味はとんでもなく変わるのだそうです。

安っぽいのは嫌いだけど安いのは大好きな僕がそんなお得情報をほっておけるはずもなく、さっそく調べてみるとこういうことらしい。

同じワインでも、使用するワイングラスでワインの味が変わります。なぜでしょうか?
それはグラスの形状によってワインの口への流れ込み方が変わるからです。最初に舌のどの部分にワインが触れるかで味の感じ方が大きく変わってくるのです。
口に流れ込む幅が広い時は、酸味を感じる舌の横までワインが広がるのに対して、流れの幅が狭い時には舌の先の甘みを感じる部分での印象が強くなるからです。渋味を感じる部分は舌の奥の方なのですが、甘みを感じる舌の先端にワインが触れると渋味に敏感になるようです。

またワインの色を楽しむために、ガラスはより透明度の高いクリスタルガラスを使用し、ワインの香りを楽しめるよう、香りを貯めこんでおけるようにボウル部分は大きく、さらに味を楽しむじゃまにならないように、口をつける部分はできるだけ薄くなっているそうです。

これだけこだわって作れば当然お値段も張ってくるわけで、1脚1万円以上するようなものがざらにあります。その値段にめげつつもさらに調べていくとありました。お手軽な値段で最高級グラスに匹敵する味を体験させてくれるグラスが。それがこの「RIEDEL “O”」です。

The family-owned German company Riedel has been making glasses for some 300 years. Its O series of glasses ($24.95 for a set of two) is great for everyday use. Although they are made of the same crystal that Riedel uses in its more traditional Vinum series, the stemless design is less pretentious, and the glasses easily fit in the dishwasher.

製造中に最も壊れやすい脚の部分を大胆になくしてしまったことによって大幅なコストダウンを実現しています。製造後も省スペースにより搬送コストを下げられるでしょうし、搬送中の破損もずいぶん減ることでしょう。購入した人にとっても、これなら収納スペースを取りませんし、洗ったりするときに壊れることも少ないでしょう。ただ、色を楽しむ時にグラスを持つ手がかぶってしまうし、立ち姿のエレガントさも脚付きのグラスには到底及びませんけれど。でも普段使いと割り切ればこれで十分だと思います。

それで、上のサイト説明にしたがって、赤を飲むことの多い僕は次の二つを購入してみました。どちらも1400円(!)です。

届いたその日に、それまでに使っていたグラスと、この二つのグラスとで飲み比べてみると、あまりの違いにあ然とするほどでした。同じワインをピノ・ノワール用で飲むとまろやかでふくよかな香りと味になり、カベルネ用で飲むと程よい酸味をフルーティな味わいです。面白くなって飲み比べるうちに飲み過ぎる罠にハマってしまいました。

しばらくは安くておいしいワイン探しにハマりそうです。

Posted at 時刻: 12月 15, 2010 on 2010/12/15 | 2 コメント | Filed under: ,

信用できる人、信頼できる人

「信用」と「信頼」ということばについて調べてみると、「信用」は信じることであり、「信頼」は信じて頼ることであって、信用の上に信頼が成り立っている、となっていることが多いみたいです。なんとなくはわかるのですが、僕はこれには全面的に賛成することができません。
というのは、信頼はできても信用できない、ということがあると思うからです。

たとえばこんな話があります。

外交官が貧乏人の家を訪ねて言った。

外交官 「お宅の息子さんに縁談があるんですが」
貧乏人 「息子は自分の嫁は自分で見つけます。
私は口出しするつもりはありませんよ」
外交官 「でも、相手は大富豪のロスチャイルド家のお嬢さんですよ!」
貧乏人 「え。そういうことでしたら…」

次に外交官は、ロスチャイルド家を訪ねて言った。

外交官 「お宅のお嬢さんに縁談があるんですが」
ロス家 「娘は結婚するにはまだ若いですよ」
外交官 「でも、相手の男性は世界銀行の副頭取なんですよ!」
ロス家 「え。そういうことでしたら…」

そして外交官は、世界銀行の頭取を訪ねた。

外交官 「お宅の副頭取に推薦したい人物がいるんですが」
頭 取 「副頭取候補でしたら、すでに相当な数の人材がいますから」
外交官 「でも、この若者はロスチャイルド家の婿養子ですよ!」
頭 取 「え。そういうことでしたら…」

ここに登場する外交官は、最終的に誰も騙しているわけではありませんし、すべてが丸くおさまっています。でも僕がその一部始終を知っていたとしたら、この人は素晴らしく仕事ができて信頼のできる人だとは思いますが、その巧みな交渉能力を、その人がその人自身のために使ったら、いつなんどき僕が貶められるかわからなくて油断できません。全面的には信用できないなぁということになると思います。

ということで、どうも一般的には「信頼>信用」となっているようですが、僕にとっては「信用>信頼」となります。
もし、信用していた人に騙されたとしても、僕が信用してたんだから仕方ないと諦めがつくような気がしますが、信頼していた人に騙されたら、自分の油断をいくら悔やんでも悔やみきれない、ということにもなりそうです。

これについて調べている中で見つけた、一番参考にした文章がこれなのですが、

まったく逆の結論に辿りついてしまいました。

Posted at 時刻: 12月 10, 2010 on 2010/12/10 | 2 コメント | Filed under: ,

トーノー しじみスープ

職場でのお昼は家内につくってもらったお弁当を食べることが多いのですが、最近そのお弁当のお供に飲んでいるのがタイトルの「トーノーしじみスープ」です。

イメージ 1

僕が普段飲んでいるのは上のリンク先の楽天のサイトのものとはちょっと違っていて(これはどうも期間限定のようなのですが)三つ葉が入っていてとても香りがいいです。それにこれも上のサイトのものには入ってないようなのですが、茎わかめのコリコリとした食感がとてもいいです。
職場の近所のスーパーで買っているのですが、40g入で148円です。

これのいいところは、味もさるところながら、この袋の中に乾燥した具がそのままザラッと入ってるところです。
10人前ということになっていますが10袋の小袋に分けられているのではないのです。
これだと自分の好きな量だけ食べられてとてもいいです。
二日酔いの時などは少し多い目にして濃いのを飲んだり、あっさりしたいときは少なめの具に多めのお湯で、と調整ができます。

それになんだかエコっぽくていいですよね。

Posted at 時刻: 12月 05, 2010 on 2010/12/05 | 0 コメント | Filed under:

世界ふれあい街歩き 西塘(せいとう)~中国~

録画してあったのを昨日見ました。

まず、工藤夕貴のナレーションが素晴らしい。ニューヨークのハーレム地区の回でもそうでしたが、本当にこの人が歩いてるみたいです。それもすっごく楽しそうに。原稿を読んでるんだろうけど、スミからスミまでまったく不自然さがありません。完全に自然。絶対歩いてる。この人といっしょに街歩きしたら楽しそうだなぁと思えてきます。

そしてこの街。呉越同舟の呉と越の国境にできた街で、それぞれの国に物資を供給するために水運で栄えたのだそうです。水路のある街って、どこもとてもいい雰囲気が漂ってますよね。水路に面した家々が深い軒を出していて、水路際が屋根付きの遊歩道のようになった古い町並みがいい感じです。東屋の下で楽団が奏でる伝統音楽の調べが似合い過ぎてタイムスリップしたようです。

水路ではたくさんの人が手洗いで洗濯をしていて、話しかけてみると「100年も前からずっとこうよ」と答えます。まさしくそんな風景で怖いくらいです。観光地らしく、中国国内からもたくさんの観光客が訪れていて、100年前そのままに洗濯してるおばちゃんの横を、都市部から来たと思われる日本人と変わらない服をきた中国人が通り過ぎます。
これが中国なんだなぁと実感させられました。

爆問学問の緊急特別企画で、前後編2回に分けた中国特集として、中華料理店に日本で活躍する中国人と中国を研究する学者を呼んで対談をやっていたのですが、その中で中国人の人たちが言っていたことで印象的だったのが「中国は多様」や「反日デモをやっているのは13億人のうちの1万人」などでした。「中国の知人に電話して尖閣のことを話すと、『なにそれ?』と問い返される」ほどだそうです。

その言葉通りの空気が、西塘の街には流れていました。

中国は分かりにくい国だという印象を抱いていたのですが、案外わかりやすいのかもしれません。一度行ってみないといけないなぁと思っています。

Posted at 時刻: 12月 04, 2010 on 2010/12/04 | 2 コメント | Filed under:

希望の国のエクソダス/村上龍

9年前まで大阪の建築設計事務所に勤めていた。可もなく不可もなく、それなりに楽しくはやっていたけれど、そのままそこに勤めていてはいけない気がして、でもどうすればいいのかわからずにいた。
酒鬼薔薇の事件や宅間守の附属池田小事件があったりもして、社会全体が鬱屈し、閉塞感に包まれていた。そのころに出会ったのがこの本だった。

アマゾンの商品説明欄にあるあらすじはこんな感じ。

パキスタンで地雷処理に従事する16歳の日本人少年「ナマムギ」の存在を引き金にして、日本の中学生80万人がいっせいに不登校を始める。彼らのネットワーク「あすなろ」は、ベルギーのニュース配信会社と組んで巨額の資金を手にし、国際金融資本と闘い、やがて北海道で地域通貨を発行するまでに成長していく。

読み進んでいくと、そのとき僕がやるべきことのヒントが書かれているような気がした。そして、こんな衝撃的なフレーズをみつけた。

この国には何でもある。でも、希望だけがない。

僕が感じていた得体のしれないモヤモヤした気分をを具現化してくれたような気がした。

彼ら「あすなろ」は、独立国家的なものを作るのだけれど、その候補地として沖縄と北海道が挙がった。本州・四国・九州では、彼らの「気分」が変わらないという判断からだった。日本社会に深く根づいた「利権」や「既得権」の影響が比較的少ないと考えていた。

妙に納得した僕は「沖縄か北海道に移住するしかない」と、雷に打たれたように決断してしまった。しかし北海道へは行ったことがなかった。沖縄のほうは、その数年前に石垣島を中心とした八重山諸島へ、3泊4日ほどの旅行で訪れていて、とても良い印象を持っていた。
次にハローワークのインターネット版でどんな求人があるのか調べてみた。移住したら少なくとも半年以内くらいで新しい仕事に就いて家族分の食い扶持を稼がなければならないのだ。石垣島は絶望的だった。沖縄本島ならなんとかなりそうだったので、家族旅行も兼ねて視察に行ってみることにした。石垣島で受けた印象とはちょっと違っていた。米軍の存在感が想像以上に大きくて、その影響が沖縄本島全体の社会や文化に色濃く反映されている印象だった。 沖縄への移住はあきらめることにした。

次に北海道への移住を検討した。札幌はなにか違うような気がした。第2の都市として旭川を調べてみると、再就職は問題なくできそうだった。家内がネットで移住情報を調べていると、旭川郊外の田園地域で、美瑛や富良野などの景色の良い場所に隣接したところに一軒家の貸家を見つけた。不動産屋と連絡を取り、その家を見に行った。富良野のホテルに泊まるスキーのパックツアー(これが一番安かった)に参加して、スキーはまったくせずに、その家だけを見に行ったような感じだった。それで決めた。

で、いま旭川に住んで8年目になる。

僕にとってこの本は、そういう本だ。

希望の国のエクソダス
発売元: 文藝春秋
発売日: 2000/07
売上ランキング: 43896
posted with Socialtunes at 2010/12/03

Posted at 時刻: 12月 03, 2010 on 2010/12/03 | 2 コメント | Filed under: ,

リニューアル

この Blogspot のアカウントに引っ越して以来、Blogger が用意してくれた引越しツールのおかげで、FTPベースの旧サイトからリダイレクトされていたのですが、何ヶ月か前から旧サイトにつながらなくなってしまいました。

旧サイトで一定時間(たぶん10秒くらい)滞在すると自動でジャンプする仕様だったので、まったく同じデザインにしておかないと、突然まったく別のサイトに飛ばされたみたいになってしまうので、デザイン変更をせずにいたのですが、これを機にリニューアルしてみました。

Hemingway White という Wordpress 用のテンプレートが Blogger 用に移植されているのを見つけて、前から気になっていました。しかし Blogger がバージョンアップしてウィジットテンプレートが主流になって、ブックマークしておいたサイトから落とせなくなっていました。ということで、もともとのブラックバージョンをここから落としてきて、

CSS をいじって白くしてみました。結構いい感じになったんじゃないかと自画自賛しております。

現在、コメントフォームがちょっと左にズレているのが気になっていて、親切な人が「こうすると直るよ」と教えてくれるのを虎視眈々と待ち受けています。

それから最近のお気に入りの zenback をサイドバー(このテンプレートではココがサイドバー)に付けてみたのですが、色をなんとかしたいところです。あと、上に変なスペースが空いてるのも気になる。しかし、zenback 経由のアクセスはバカにできないので放置の方針。

それからラベルクラウドのカスタマイズはこちらを参考にしました。

あとは更新するだけですね。

Posted at 時刻: 12月 02, 2010 on 2010/12/02 | 3 コメント | Filed under: ,

流れ星 / BONNIE PINK

このまえ購入した BONNIE PINK さんの「Dear Diary
痛く気に入ってしまい、ヘビーローテーション中でございます。

中でも「スキKILLER」のキャッチーさにやられております。
この方は「女の子っぽさ」的なものをあまり出さないと思うのですが
こうやって「女の子」の気持ちど真ん中の曲を書いても
こんなにもうまいのだなぁと感心してしまいます。

それにもまして感激しているのが「流れ星」であります。
この歌詞が素晴らしすぎると思うのです。

あんまり素晴らしいので、最も素晴らしいと思われる部分を引用してみます。

星たちは離ればなれ
近づきたくて流れてく
君に今 会いたいから
急いで流れてく

星と星はぶつかって
燃えては散って尚
激しくまた引き合って
ほらまたひとつふたつ急いで流れてく

これをあのメロウな歌声で切なげに歌い上げられると
体中の体液が漏れ出してしまいそうです。

Posted at 時刻: 10月 21, 2010 on 2010/10/21 | 2 コメント | Filed under:

ボニーさんのイタチ

深夜の音楽番組で BONNIE PINK さんが披露していたエピソードが衝撃的で、それを聞いたあと何度も思い出してニヤニヤしてしまうレベルで、この話を知らないと人生を送る上でなにかを損してしまうような気がするのでご紹介。

ボニーさんのおばあちゃんが、夜中に家の中に入ってきたイタチがかごに入れておいてあったタマゴをひとつ盗んでいくところを目撃したのだそうです。なぜか追い払うことをせずにこっそりと見守ることにしたそうです。
そのイタチは前足で大事そうにタマゴを抱えると、それをそのまま頭の上に乗せ、微妙なバランスを保ちながらソロリソロリと4本脚で歩き始めたそうです。しかし何歩か歩いたところで、頭の上のタマゴは転がり落ちて割れてしまいました。
しかし、割れてしまったタマゴを見て一瞬たじろいだイタチは気を取り直し、割れたタマゴの黄身だけを両手でそぉっとすくいとって、それをまた頭の上に乗せ、ソロリソロリと歩いてその場を去っていったのだそうです。

なんでしょうこれ。みなさんの頭の中でも、かわいいイタチの姿が鮮烈にビジュアルに再生されたのではないでしょうか?このビジュアル再生っぷりは笑い飯の「鳥人」のネタに匹敵するレベルです。

実はこの話、ボニーさんがその話を聞いてからずっとイタチがホントにそんなことをするのか気になっていて、大ファンである「探偵ナイトスクープ」に依頼して調べてもらおうと思っている、という話で、それをその音楽番組でおせっかいにも調べてあげましょうをいうことになって、どこかのイタチの権威という獣医さんがVTRで登場して、イタチがそういうことをすることはゼッタイにないと言い切られて、ボニーさんの長年の疑問が解消されてめでたしめでたしとなるかと思いきや、ボニーさんの胸のモヤモヤが余計にひどくなってモジャモジャになってしまいました。要するに、脳内で再生されたかわゆいイタチのイメージが実際に再現されないことには解消されないモヤモヤなのでした。その気持わかる。

そんなボニーさんのニューアルバムが出てます。僕は iTunes Store で先行予約して、Perfect Sky のライブビデオもゲットしました。今回もまったく期待を裏切らない粒ぞろいでキャッチーな楽曲が勢ぞろいしてます。この方のアルバムはいつも、どの曲もシングルカットできるレベルに仕上がっていて感服されられていますイタチ共々。

Posted at 時刻: 10月 09, 2010 on 2010/10/09 | 0 コメント | Filed under: ,

「やりたいことをやる」ということ

マイミクの藩金蓮さんが 、ことし創設されたばかりの文学賞 「団鬼六賞」を受賞されました。ミクシィ日記でそのことを報告していらっしゃいます。

読めない方は、きっと近いうちにブログにも受賞についての文章を書かれると思いますのでブログもご紹介。

この方の書く文章は基本「エロ」なのですが、人間の奥底にある「なにか」を暴きだそうとするかのように、身を削るようにして書かれたものばかりで、ちっともエロくなくて、むしろ考えさせられることが多いです。

「やりたいことをやる」ために、それまでしていた仕事を辞め、ミクシィとブログにしか書いていなかった文章を、だんだんと出版物に発表することが増えてきて、それと同時に人脈がどんどん増えていき、それも彼女がリスペクトする人たちとの関わりが増えていき、それがこの文学賞受賞の前後に爆発したように増えました。

そんなこんなを、彼女のミクシィ日記やツイッターなどで目の当たりにし、才能のあるひとが「やりたいことをやる」ことのスゴさを感じさせられました。

俺もなんかやってみようかな、なんつって。

Posted at 時刻: 9月 21, 2010 on 2010/09/21 | 0 コメント | Filed under: ,

ハンターとしての資質

夜、迷い込んだ森の中で、道の先にヘッドライトで照らし出された、立ちのぼる炎のように立派な角を持った雄鹿が、こちらを悠然と眺めるシルエットを見たことがある。

距離にすればきっと50メートルほどはあっただろうか。しかし、その時僕は、完全に彼と目があってしまった気がして、というよりも、見据えられた気がして、身がすくむ思いがした。

とにかく、その彼の姿は、とてつもなく神々しかった。

ハンターの知り合いを持つ知り合い(遠い!)から聞いた話だが、猟に出かけるのは体力的にも精神的にも万全の時でないとダメだそうだ。

彼はひとりで森に入り、「これは」と思える獲物を長い時間かけて探し、見つけると確実に仕留められる位置・距離に入るまで追い続け、仕留めたら手早く血抜きをして解体し、それをたったひとりで森の外へ運びださなければならない。

体力的にきついのはもちろんだが、森に入ってから出てくるまで、自分が獲物よりも上の存在であるという気持ちを保ち続ける精神力が重要なのだそうだ。

その話を聞いて、あの森で見た雄鹿の神々しい姿を思い出し、深く大きくうなずいた。

Posted at 時刻: 9月 10, 2010 on 2010/09/10 | 0 コメント | Filed under:

かっこ良すぎてかっこ悪くなっちゃうことがあるよね

ダサい空間でも、真っ白に塗りつぶしてかっこいいアイテムを置いていくと、それなりにかっこいい印象になる。
ちゃんと構成されたカッコいい空間にかっこいいアイテムを置いていくと、かっこよすぎて、息苦しい居心地の悪い空間になる。
ちゃんと構成されたかっこいい空間に、雑多なアイテムをある程度整理して置くくらいがちょうどいい。ってのが今の気分。

この前「Townhouse : ELDINGOSCARSON.COM」で書いたのと同じことが言いたいのですが。

つまり「ちゃんと構成されたカッコいい空間にかっこいいアイテムを置いていくと、かっこよすぎて、息苦しい居心地の悪い空間になる」ってのが問題で、これは建築に限った話ではなくて、おそらくすべてのデザインに当てはまる話だと思います。
極限までかっこよくしていいのは、きっと美術館とか劇場とか、ひとにある程度の緊張を強いていい場所に限らると思います。店舗や居住空間でコレをやると、集客力が落ちてしまったり、住み手がつかなかったり、すぐ離れてしまったりってことになるのでしょう。

そういう意味では、この前の「Townhouse : ELDINGOSCARSON.COM」で紹介した、青木淳さんがギャラリーであれをやったというのは、逆にスゴイことだなぁと思います。

Posted at 時刻: 9月 09, 2010 on 2010/09/09 | 0 コメント | Filed under: ,

さ行とざ行の日本語的ひびき

最近、車の中で佐野元春さんのスポークン・ワーズのライブアルバムを聴くことがあります。最初とっつきにくかったのですが、10連奏の CD チェンジャーで定期的に再生されるのを聴いているうちに、だんだんと好きになってきました。

もしかすると、最近ハマって欠かさず見ている「佐野元春のザ・ソングライターズ」の影響もあるのかもしれません。この番組の中で披露されるスポークン・ワーズは、まったくの朗読で、まったくの無伴奏なのですが、CDになっているものは、ずべて伴奏つきで朗読と密接に絡まり合っています。きっと詩をじっくりと味わうためには前者のほうが向いているので、番組コンセプト的にはこのほうがいいのでしょう。

ただ、伴奏つきのスポークン・ワーズであっても、詩をじっくりと聴くべきなのだろうとは思うのですが、運転中にいろんなノイズの中で、じっくりとCDの音に集中しているわけにはいかない状況で聴いていると、朗読が単なる音としてしか聴こえてこないことがあります。
そんな時に気づいたのが、さ行とざ行の音の強いひびき方です。意味のある言葉として聴いていたときにはあんまり気づかなかったのですが、音として聴いたときに、さ行とざ行の音だけが抜き出されたように聴こえてきたのです。

佐野さんはこのことに気づいていて、それを強調するように詩を書いているのではないか、ということにも気づきました。例えばこんなふうです。

僕は走った。
走って走って走って、
岬の端の橋のたもとまで走った。

「はし」という音のひびきの面白さが強調されています。この詩の朗読を、単純に音として聴くと(ちょっと難しいかもしれませんが)「し」の音だけが耳に残って不思議なひびきとリズムを作り出していることに気づくと思います。

ずっとまえに、日本語を全くしゃべれないアメリカ人が、日本人の真似をして日本語のようなものを喋るという芸を見たことがあるのですが(ちょうどタモリの4ヶ国語麻雀みたいに)、その人はやたらとさ行とざ行を強調していました。そのときはそんなふうに聞こえてるのかなぁ、くらいにしか思えなかったのですが、今頃になって理解できたような気がします。

井上陽水さんがあるテレビ番組でこんなことを話していました。

「曽根崎心中」という言葉がひびきが好きで、なぜ好きなのがずっと考えていたら、さ行とざ行の短い繰り返しだった、ということでした。それに気づいてとてもうれしくて、とても興奮した、そうです。

娘の依布サラサさんがラジオ番組に出演したときに、親子の会話はどんなふうか尋ねられたのに答えて、父親が食卓で興奮したようすで上の話をし始めて、わぁすごいねぇ、みたいに盛り上がった、というエピソードを披露していたので、その時の興奮は相当なものだったのでしょう。

佐野元春のザ・ソングライターズ」のRHYMESTERの回で宇多丸さんが言っていたのですが、ラップの世界ではこういうひびきの強い音のことを「キックの効いた音」というようで、こういう強い音で韻を踏んでいくと効果が強いのだそうです。

ということで、こうやって書いてきたら、僕が気づいたことはもうすでにたくさんのひとが気づいていて、どうってことないことに気づいたのですが、気づいたときにはちょっと興奮したんだから、こうやって長々と書いてもしょうがないよね、ということで。

In motion 2001~植民地の夜は更けて [DVD]
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  • アーチスト: 佐野元春
  • 発売元: エピックレコードジャパン
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  • 発売日: 2002/01/23
  • 売上ランキング: 85501
  • おすすめ度 3.5

Posted at 時刻: 9月 06, 2010 on 2010/09/06 | 0 コメント | Filed under: , ,

いま知ってることだけで仕事できるとか思いすぎる

仕事や、いろんなものごとに取り組むとき、それがその前にも何度かやったことだったりすると、すでに知っていることだけでうまくできると思ってしまう人がいる。

もちろんそれでうまくいくこともあるわけだけど、でも多くの場合、その時の状況にあわせてアレンジする必要がある。
状況というのは、短期的にいえば天候や時間帯の変化などで、長期的にいえば時代や流行の変化などがある。

それらの変化に対応するためには、常に敏感に新しいことを吸収し、同じことを行うにしても、以前よりもうまく早くできるように技量を高めていかなければならない。

たとえば伝統工芸の優秀な職人たちは、ただ淡々と昔と同じことを続けてやっているわけではなく、常に細かく変化させている。常に変化している我々が見て、常に変わらず魅力的に見えるということは、そういうことなのだと思う。

Posted at 時刻: 7月 26, 2010 on 2010/07/26 | 0 コメント | Filed under:

口蹄疫問題と政府の対応まとめ

宮崎県での家畜の伝染病「口蹄疫」の発生と蔓延の問題について、僕の観測しているウェブの範囲だけでもたくさんの情報が流れてきます。

僕の観測範囲というのは主にタンブラーのダッシュボードと livedoor Reader というフィードリーダーで、僕の好みで情報の発信源を選択しているので、かなりおおきく僕なりのフィルターがかかった状態になっていて、この情報を鵜呑みにするのは危険だとは思いつつも、政府の対応を批判し、宮崎県と東国原知事を擁護する情報の量があまりも多くて、圧倒されていました。
それらはまた同時にちょっとばかり感情的な表現になっているので、ひとつひとつの情報のインパクトが大きく感じられ、余計に圧倒されていたのかもしれません。

それに対して、新聞やテレビ等のメディアが発信しる情報の中には、宮崎県の対応を批判するものが多く見られ、そのギャップにかなり混乱させられていました。

この文章を書こうと決めたとき、最初はそれらの様々な情報をご紹介して皆さんの判断を仰ごうと考えていたのですが、これを書くきっかけとなった東国原知事の文章に中に、僕の抱いていた混乱のすべてが、とてもていねいに、とてもひかえめに、とても紳士的に、とても理性的に表されていることに気づきました。

そして、この文章の中で取り上げられている読売新聞の社説がこれです。

読売新聞のこの文章は消えてしまう可能性があるのでキャッシュのリンクも張っておきます。

この文章のタイトルに「まとめ」と書いたものの、うえのふたつの文章を読んでもらうのが、一番いいという結論に達しましたので、東国原知事の文章の中で、僕が一番グッときた部分を引用して終わりにしたいと思います。読売新聞も、政府も、この文章に対するアンサーを早急に発信するべきだと思います。

5月18日、ワクチン接種を山田大臣(当時まだ副大臣)に迫られた。「知事さん、このリングワクチンを地元に説得出来なければ、あんたのリーダーとしての資質は無いんだ。知事として失格だな」と低い声で言われた。国の責任でやると言っておいて、地元や農家さん達への説得・同意等は地元首長達に押し付けるのだ。その高圧的な物言いにも到底納得が行かなかったし、貴方なんかに言われる筋合いは無いと思ったが、あの時、そんなことをとやかく言っている時間的余裕は無かった。

不本意だったが、防疫のためと思い、断腸の思いで地元を説得し、何とかご理解を頂き、決断したとき、その記者会見上で堪え切れず不覚にも涙を流してしまった。

あの意味は、対象農家さんの悲痛や絶望を想ったからであることは言うまでも無い。それに加え、隣に座っていた山田副大臣が、初めて来県したとき「僕は、ワクチンを打ちに来たんだよ」とまるで胸躍らせながら言った(少なくとも僕にはそう見えた)その言葉が悔しくて許せなかったからだった。

Posted at 時刻: 7月 19, 2010 on 2010/07/19 | 0 コメント | Filed under:

本気の気持ち

できるだけ気持ちを入れないように気をつけて
ただ淡々と、割りきって、ものごとを行うことが
あると思う。

それはきっと、気持ちを入れてしまうと
その気持に自分が支配されたみたいになって
苦しくなってしまった経験があったからだと思う。

これはとても気持ちが入っていて
気持ちが入っていることがよくわかって
いいですねぇ、ということがあるけど
気持ちを入れると苦しくなることがあるってことを
みんなが知っているからのような気がする。

サッカー日本代表元監督のトルシエさんが
日本人は真面目だと思っていたら
実は不真面目だった、と言っていたらしい。

選手たちがみんな本気になることを
カッコ悪いことだと思っていて
誰かがちょっと本気を出すと
それをまわりが茶化しているのを見て
これじゃ勝てないと思ったらしい。

まるで中学生みたいじゃないか。

いま僕らが包まれている
閉塞感を打ち破るためのヒントは
こんなところにあるんじゃないのかと思う。

Posted at 時刻: 7月 12, 2010 on 2010/07/12 | 0 コメント | Filed under:

駒野選手まわりのいろいろ

遅ればせながら、サッカー日本代表、惜しかったですねっ!

惜敗を喫したパラグアイ戦の、僕が思わず正座して観戦した最後のPK戦において惜しくもゴールを外して以来、いろいろと話題の絶えない駒野選手まわりの悲喜こもごもがたいへん興味深いので、もうご存知かもしれませんが、まだご存知じゃない方のためにここでご紹介いたします。

まずは試合後の選手たちへのインタビュー記事です。

駒野選手自身へのインタビューはのってないのですが、試合直後に大泣きする駒野選手の肩を抱きながら、横で駒野選手以上に大泣きしていた松井選手のコメントの中で大フィーチャーされています。

駒野(友一)を今日、酒に誘って死ぬまで飲ませたいと思います。僕は同い年だし、駒野をいつもいじっている感じなんで、いじり足りなかったのかなと思います。

きっと死ぬほど飲まされながら、いじり倒してもらったことでしょう。

翌日、僕のタンブラーのダッシュボードに、こんな文章が流れてきました。

駒野なんて大したことはない。

中三のときに父親を無くして、
私立初芝橋本高、ガンバ大阪、サンフレッチェ広島などからスカウトされたが、
寮住まい出来て経済的負担が最も少ない広島ユースに入り
休日でも友人と遊びに行かず、寮に残ってトップチームのビデオを見て研究し
プロ契約してから現在まで欠かさすことなく母親に仕送りをし続け
弟の大学の学費まで全額負担し
性格は純朴そのもので、森崎和幸曰く「今時珍しい生き物」で
左膝前十字靭帯損傷の療養中にエコノミークラス症候群にかかり
生命の危機に陥ったが、不屈の闘志で復活し、アテネ五輪代表に選出され
アテネ五輪ガーナ戦で鎖骨骨折、一ヵ月後ブドウ膜炎まで発症し失明の危機もあったが
それすら乗り越えて日本代表になった。

そんなドコにでもいるプレーヤー、それが駒野。

:: H & A :: tumblr

もうずいぶん前に見たことがあって、そのときにも Reblog したのですが、ここでもう一度この文章に脚光を浴びせた誰かの心意気に敬意を表して、もう一度 Reblog しました。

この試合後に書かれた文章の一部も、たくさんダッシュボードに流れてきて、たくさん Reblog しました。中でも好きだったのがこの文章。

駒野は2007年のアジアカップ・オーストラリア戦でも3人目でPKを任されたように、隠れたPK職人。このチームの中でも名手のひとりです。しかし、 PKを外すのはいつも名手。ゴール上へと叩き込む勇敢な駒野のPKは、クロスバーに阻まれます。GKが絶対取れないコースを狙ったPK。名手ゆえ、勇敢な男ゆえの外し方でした。

駒野はこの試合のことを忘れられないでしょう。同じように、僕らもこの試合のこと、駒野のことを忘れないでしょう。多くのヒーローが生まれ、喝采を浴びた日本代表の中で、駒野は目立たず静かに自分の仕事をこなしてきました。中継したTBSの番組告知でも、各メンバーの名前を挙げる中で、駒野の名前はしっかりと漏れていました。そんな男が、クライマックスのスポットライトを一身に浴びたのです。僕は、これをサッカーの神様からの贈り物だと思います。

テレビ中継のスタメン紹介で忘れられるっていうのは、事実だとしたら「どんだけ影薄いんだよ!」(←そこ?)って感じなんですが。

あ、上のリンク先では「肌色注意」です。あ、もう見ちゃいましたね。遅かったですね。

ところで、試合後に泣きじゃくる駒野選手に優しく接したのは日本のチームメイトたちだけではありませんでした。なんと相手チーム・パラグアイのエースストライカーであるバルデス選手もいたのです。

このことは2ちゃんねるでも話題になっています。

595 日出づる処の名無し [sage] 2010/06/30(水) 20:41:43 ID:rbRw238z Be:

ごめんね、こういうのひろったのw
105 名前:U-名無しさん@実況はサッカーch[sage] 投稿日:2010/06/30(水) 09:24:48 ID:9eYJL4OU0
バルデス△
濡れるわ
http://cache.daylife.com/imageserve/06Lx157gMY4kh/610x.jpg
http://cache.daylife.com/imageserve/05qtglr0q49OV/x610.jpg
http://cache.daylife.com/imageserve/0baI29xgA29e9/610x.jpg
 

629 日出づる処の名無し [sage] 2010/06/30(水) 22:17:17 ID:jj36H9Z4 Be:

>>445
「お前が外したゴールは、俺がスペインゴールにぶちこんでやる」
バルデスが語ったのは、この一言だったとか。単なる気休め、慰めでないところがいいですな。

629の人が言うのがホントだとしたら、バルデスさんは相当にカッコいいのですが、その言葉がなんであったとしても、あの場面で、あのタイミングで、駒野選手に駆け寄って声を掛けただけでも相当かっこいいです。どんな言葉をかけたのかは、いずれバルデス選手の口から語られるのでしょう。

上の2ちゃんねるの雑談版には、バルデス選手についてこんなことも書かれていました。

FIFA.comによると、今夜の日本チームの対戦国パラグアイのエースFW
ネルソン・アエド・バルデス選手(26)は15歳から17歳までをホームレスとして 過ごした経験があるという。

現在はドイツ・ブンデスリーガの名門ボルシア・ドルトムントのスター選手で
地位も名誉も手に入れたバルデスだが、パラグアイのクラブの研修生だった
15歳からの二年間はスタジアムの周りを寝床とし雨風をしのいでいたという。

ドイツに渡ってからも地元の仲間や家族を非常に大事にしており、 家族はプレーの原動力だと語るバルデスは故郷の子供達1500人のために クリスマスパーティーを開催してサッカーボールやおもちゃをプレゼントしたり 慈善活動にも力を入れている。

バルデスはニュージーランド戦で痛めた太ももが完治していない状態と発表されている。

ということで、僕はこれ以降パラグアイを応援することにしたのですが、その理由はバルデス選手のことと、もう一つあります。

もうこれは断固として、取るものも取りあえず、着の身着のままで応援せざるを得ない。

最後にこの話題。

翌朝の「朝ズバ」でみのさんが駒野選手のお母さんに電話インタビューして、お母さんが「申し訳ない」みたいなことを言った、というような情報が流れましたが、これは事実ではないようです。よかったよかった。

Posted at 時刻: 7月 01, 2010 on 2010/07/01 | 0 コメント | Filed under:

「なにかしてる」と「なにもしてない」のあいだ

もうずいぶん前のことですが、「アメトーーク」の「人見知り芸人」の回で、企画発案者であるオードリー若林がこんなことを言っていました。

「楽屋とかで、なにもしてないと話しかけられちゃったりするので、特に興味もないのに缶コーヒーの裏に書いてある原材料とかを読み込んだりします。いつもなにかしてる人になっていたいんです。」

これはつまり、人見知りで人に話しかけられることを極端に嫌うので、「なにかしてる」人になることで話しかけられづらい状況をつくっているわけです。

その一方で、いま「ほぼ日」で連載中の、糸井さんとイラストレーターの荒井良二さんの対談の中でこんな話がありました。

やっぱり、絵を描くことって、
こうやって白い紙に向かって
筆を持つことだと思ってるから、
早くしてくださいって
催促する人にとっては
なんにもしてないように見える。
でも、自分の中では進んでるんですよ。
絵は真っ白なまんまかもしれないけど、
ぼくの中では始まってるんです。
こう、ご飯食べながらでも、もう、
絵を描くモードに入ってたりするんです。
だけど、外からはそう見えない
っていうだけの話であって。

こう、たとえば船がね、
波の上に浮かんで、ずーっと、こう、
ゆらゆらしてるじゃないですか。
あの時間も、ちゃんとカウントしてほしい。
どこにも進んでないからって、
船に乗ってないわけじゃないんだ。

ちゃんと「なにかしてる」つもりなのに「なにもしてない」と思われちゃって困ってる人たちの登場です。

このふたつの話の中で出てくる「なにかしてる」と「なにもしてない」は、まったく関係ないようで何か関係しているような気がします。そんな気がしたのでこの文章を書き始めてみたのですが、ここまで書いたところでコレといった結論に辿りつきそうにないことがわかってきました。

あ、コレ「なにもしてない」わけじゃないんですよ。ちゃんとどこかへ向かって進んでる途中なんですからねっ!

Posted at 時刻: 6月 29, 2010 on 2010/06/29 | 0 コメント | Filed under: ,

世界について

僕らが見ている世界は、僕らにとって、たったひとつの世界だ。
きっとみんなそんなふうに思ってるだろうと思います。

でも実際には、僕らの見ている世界は、僕らの見ている世界にすぎません。
あるいは「僕ら」というのもおかしくて、僕の見ている世界は僕の見ている世界であって、あなたの見ている世界とは違うのかもしれません。

たとえば、僕らの住む世界に一緒に住むアリ達が見ている世界は、僕らが見ている世界とはまったく別の世界です。ちょうど「ミクロの決死隊」の世界だと考えるとわかりやすいでしょう。

UFOや宇宙人が写っているとされる写真が公開されることがよくありますが、あれはすべて僕らの住む世界の感覚で理解できる範囲をはみ出していません。
宇宙人がとんでもなく大きかったり、とんでもなく小さかったりしても、少しも不思議じゃないのです。
たとえば、とんでもなく小さな宇宙船に乗った、とんでもなく小さな宇宙人が、毎日僕らの体の細胞と細胞のすき間を通り抜けているのかもしれないのです。

地球外生命体はいるかいないか、というよくある質問に対して、そんなのいないはずがないというスタンスをとっている僕としては、こんなふうに考えると、とても楽しくなってきます。

それに、同じ人間であっても、大人と子供、男と女では、見ている世界が少しづつ違うのでしょう。

こう考えると、ちょっとだけ背中の荷物が軽くなった気がしませんか?

Posted at 時刻: 6月 21, 2010 on 2010/06/21 | 0 コメント | Filed under:

創作とミニスカートに共通する秘密のようなもの

ミニスカートは長すぎてもいけないし短すぎてもいけない。
見えそうで見えないところに無限の価値がある。
見えてしまったら、そこで無限の価値が終わってしまう。
無限の終わり、価値の終わりである。

どこかでこのような意味の文章を読んで
目からウロコが落ちる思いをした。
「真理」を見た気がした。

この「真理」は何か他のことにも当てはまるはずだと思っていたのだが
最近これが「創作」にも共通するのではないかと思いついた。

僕らが何かを創作するとき、なかなか出来上がらないことがある。
試行錯誤を繰り返し、あぁでもないこうでもないとやって
一度出来上がった部分も、他が出来上がったら釣り合いが取れてない気がして
あるいは別のアイデアが浮かんで、もっと良くなるんじゃないかと
また元に戻って考えなおす、なんてことを延々と繰り返す。

これはもしかすると、創作において最も価値があるのは
あれこれ考えて作っている途中の行為であって
それを完成させて「無限の価値」を終わらせてしまわないために
ひとは無意識に、本能的に、堂々巡りを続けるのではあるまいか?

なぁんて、いいわけですねゴメンなさい。

Posted at 時刻: 5月 21, 2010 on 2010/05/21 | 0 コメント | Filed under:

小さな森の家

この本のまえがきを、著者であり、この家の設計者であり住人でもある吉村順三さんは、こう書き始めています。

軽井沢の私の家をまとめた1冊の本をつくりたいと、この10年来考えていた。それも建築の専門書ではなく、だれにでもわかりやすい、楽しい本を。この家は自然のなかにあって、なにかわくわくするような楽しいものをもっているからである。

この思いつきが、この本のすべてにおいて成功していると思います。この家の魅力を伝えることにおいて。この本を魅力的なものにすることにおいて。

第1章は、森の小径からアプローチして徐々に家が見えてきて、玄関をはいって階段を登り、2階のリビングや各室をめぐり、また1階ヘ戻ってきてテラスでくつろぐ。このシークエンスがきれいな写真と簡潔な文章であらわされています。この家の魅力を伝える文章も、とても控えめでチャーミングです。

第2章は、この家の設計時に実施設計図を作図した担当者に話を聞きながら、多くの図面と共にちょっと専門書よりの内容になっています。それでも、とても平易な文章で表されているので、建築の専門家以外でも楽しめる内容になっていて、この家の魅力をさらに深く知ることができるでしょう。この章の存在によって、建築の専門家にとってもこの本を十分に満足できるものにすることに成功しています。

第3章では、四季の移ろいによって軽井沢の森の景色が美しく変化し、それと同時にこの家での生活も移ろっていく様子が美しい写真で表現され、さらに第4章では、この家の建つ軽井沢の魅力について書かれています。
山荘のような建物を、まわりにほとんど家のないような場所に建てる場合、その土地に惚れ込み、そのまちに惚れ込み、その環境をこころからの愛情を持ってとらえていなければ良い建物なんてできあがるわけがないという、当たり前のことにあらためて気づかせてくれます。

第5章では、家族が年をとって住まい方が変化し、それにつれてこの家が改修され、増築されていった様子が描かれています。これほどの名作と呼ばれる家であっても、常により住まいやすくするために手が入れられていったことがよくわかります。また、かなり大きく増築されているにもかかわらず、よくこの家の写真として登場するアプローチからのとても印象的な外観にまったく変化がないことにも驚かされます。

最後に、吉村順三さんが最初にスタッフにわたした、この家の1/50スケールのスケッチが掲載されています。この段階でこの家のすべてができあがっていることがよくわかります。

建築設計に携わる僕としては、普段自分が肩肘張りすぎていることに気づかせてくれ、これでいんだ、が、これがいいんだ、になり、これじゃなきゃだめなんだ、という具合に心をほぐしてくれ、ホッとさせてくれる本でした。

小さな森の家―軽井沢山荘物語
小さな森の家―軽井沢山荘物語
  • 発売元: 建築資料研究社
  • 価格: ¥ 2,447
  • 発売日: 1996/04
  • 売上ランキング: 81272
  • おすすめ度 5.0

Posted at 時刻: 4月 24, 2010 on 2010/04/24 | 0 コメント | Filed under: ,

続・冴子先生

あれ以来、追いかけ続けてます。
はじめて素顔を見たのはここでした。

正直、ちょっと微妙? な感じだったのですが、公式サイトで最新動画を見て完全にやられました。

あかんアカン、これはアカンで~。
最後の一言「えー、そんなんムリや~!!!」って関西弁や~ん! 突如としてハートを打ち抜かれました。あの表情であのセリフはないわ~。完全に関西の女の人や~ん。かわいいや~ん。

はっ、またしても取り乱してしまいました。失礼しました。冴子先生が関西の方だったとはまったく存じ上げませんでした。僕は大阪近辺に10年間住んだことがありまして、関西弁の女の人にめっぽう弱いのです。

まだなにもツイートはありませんが、公式ツイッターアカウントも発表されました。

4月22日が楽しみです。

Posted at 時刻: 4月 19, 2010 on 2010/04/19 | 0 コメント | Filed under: ,

c.cedille(セ・セディーユ)

いま AIR-G' FM北海道でパワープレイされているセ・セディーユというユニットの hidamari という曲が気に入ったので調べてみました。

アメリカ出身のボーカル EMILY と、カナダ出身のギター SEREY の男女二人組のユニットで、ふたりとも独学で日本語をマスターしており、とても流暢な日本語で歌います。

ボーカルの EMILY は YouTubeで動画ブログを公開しており、更新のたびに数万アクセスを集めるほどの人気だそうです。

EMILY はご覧の通りの美少女で、さらに才能も豊かなので人気が出るのは当然の結果でしょう。c.cedille 名義で MySpace でも活動していて、こちらでは楽曲の試聴もできます。

EMILY の声は、ちょっとブリグリの川瀬智子に似ているでしょうか。ブリグリに似た曲調の楽曲もあるので、かなり影響を受けているのかもしれません。hidamari はこれまでのJ-Pop ではあまり聞いたことのないエキセントリックな中にどこかオリエンタルな香りを感じさせる不思議な曲調で、日本大好きのふたりのことなので、日本のインディーズのバンドあたりに影響を受けて、それが生まれ育った北米の遺伝子と融合して、うまく熟成した結果のような気がします。

しばらく目を離せない存在になりそうです。

Posted at 時刻: 4月 16, 2010 on 2010/04/16 | 0 コメント | Filed under:

東京タワー

ただいま建設中の「スカイツリー」こと
第二東京タワーの話題ではありません。

大変たいへん遅ればせながら、この前DVDで、
「東京タワー」のオダギリ×樹木希林版を見たのです。
その感想です。

一番印象に残ったのがなぜか、
ボクが子供の頃にオトンに船を作ってもらったエピソードでした。

その船が、もう大人になったボクの部屋に、ちゃんとあったんですよね。
そこにとてもジーンときました。

オトンのことを
「ボクはいまだかつて、この人ほど自由な人を見たことがない」
って言ったのも印象深かったです。

実はこの映画、というかこの小説、
「時々、オトン」の「オトン」が裏テーマではなかったかなぁ
と、ちょっとひねくれた感想を抱きました。

東京タワー オカンとボクと、時々、オトン(2枚組) [DVD]
東京タワー オカンとボクと、時々、オトン(2枚組) [DVD]
  • 発売元: VAP independent(VAP)(D)
  • 価格: ¥ 3,946 (22% OFF)
  • 発売日: 2007/10/24
  • 売上ランキング: 13156
  • おすすめ度 4.0

Posted at 時刻: 4月 13, 2010 on 2010/04/13 | 0 コメント | Filed under:

教えて冴子先生!

MSオフィスを起動すると 右上にあらわれて  www.microsoft.com_japan_office_2010_saeko_default
視界のはしで飛び跳ねたり チュウチュウ鳴いたりして
結構うるさいイルカがいますが
アレが鬱陶しいので出てこないように
消してる人は多いんじゃないでしょうか。

僕もずっと消してたんですが
あるときオフィスのオプション機能を使うために
付属のCDを挿入して中を見回していたら
この冴子先生を見つけて速攻インストールしました。

この冴子先生は画面の隅で
僕が作業しているのを 静かに見つめていてくれて
質問すればテキパキと答えてくれ
保存せずに終わろうとすると
ごていねいにも確認してくれるし
書類を保存すると先生の机の中に
厳重に保管してくれます。

殺伐とした職場環境に
華やぎと瑞々しさを与えてくれ
とても頼れる存在です。

そんな冴子先生に関して、マイクロソフトから こんな発表がありました。

ちょ、、、な、、こ、ここれは、、、!
た、ったタイトスカートが、、
はうっ、、、ブッッッッ、、あ、は、はなぢが、、

失礼しました。
4/22が楽しみです。

Posted at 時刻: 4月 12, 2010 on 2010/04/12 | 6 コメント | Filed under: ,

中山英之/スケッチング

1時間もかからずに読み終えられる内容。2100円なり。
それでこの値段? と思うかもしれないけれど
この値段に見合うどころか、それを上回る価値があると思います。
少なくとも僕にとっては。

とても簡潔な文章。まるで子供に話しかけているような。
その文章が、果てしなくイマジネーションを刺激してくれる。
使っている言葉はどれも簡単なものばかりだけれど
言わんとしていることは、とてつもなく奥が深い。

スケッチ。
一本の線。
地面に敷いた一枚の布。椅子。テーブル。ドア。影。
描いたり、消したり。無から有へ。有から無へ。
描いてないところに、なにかが現われる。
なにかが反転したり、なにかが突然立ち上がったり。
そして一瞬、重力が消える。

ふわふわしたものが、ふわふわしたままでかたちになっていく。

自分が、これまで蓄えてきた既成概念に、ちょっとイラついた。

中山英之/スケッチング (神戸芸術工科大学レクチャーシリーズ 2-3)
  • 発売元: 新宿書房
  • 価格: ¥ 2,100
  • 発売日: 2010/03
  • 売上ランキング: 12276

Posted at 時刻: 3月 24, 2010 on 2010/03/24 | 0 コメント | Filed under: , ,

沢尻エリカ復帰について

沢尻エリカさんに対してそれほど思い入れがあるわけではないのですが、彼女の復帰に対するマスコミの報道について思うところがあるので書いてみます。

今朝モダシンさんのこの記事を読みました。

モダシンさんがおっしゃるとおり、復帰する沢尻さんがマスコミに求めたのは、とても当たり前のことのように思えます。多くのマスコミはその要求を飲めないとしてサインに応じなかったそうです。そしてモダシンさんはこの記事をこう締めくくっています。

まあ、こういうことを守ることができない人達が今は報道に携わっている、という理解でいいわけですね。

確かににその通り!っと全面同意を表明して、タンブラーに Quote Post して終りのはずだったのですが、その後に読んだサイゾーのこの記事によって、この記事を書くことになりました。

沢尻からマスコミに対し、6カ条に関する謝罪の言葉は聞けなかったものの、この「90度」が彼女なりのメッセージなのかもしれない。

マスコミは自分たちがどんだけエラいと思っているのでしょうか? 沢尻叩きがそれほどみんなに支持されてないことに、そろそろ気づいて欲しいものです。

しかし、マスコミに自分たちが支持されていると錯覚させているのは、テレビで言えば視聴率という手綱によってマスコミを誘導してきた我々視聴者自身であることも確かです。

10/03/19追記

90度のお辞儀の理由はきっとコレ。

泣ける。

Posted at 時刻: 3月 18, 2010 on 2010/03/18 | 2 コメント | Filed under: ,

イルカの監督

極めて控えめに言って「日本国民はみんなこのインタビューを読むべき」です。ただ、健康に不安のある方は気を付けた方がいいくらいの衝撃的な内容です。

日本人のインタビューアーがこの記事を書いているのだろうから、ちょっとした脚色があったとしても、この監督が言っていることがあまりにもメチャクチャで、どうにも理解できなかったのですが、「この監督って、実は人間の姿をしたイルカなんじゃね?」と考えると、いろいろとつじつまがあってくることに気がつきました。もう「身内にイルカがいる」とか、そういうレベルじゃありません。
しかしホントにこの人がイルカだとしたら、イルカの知能はそれほどでもない、ということになりそうです。
あまりにメチャクチャなので、インタビューの内容は殆ど聞き流していいくらいなのですが、本当に聞き捨てならないのは、インタビューの最後でこの監督が言ったこの言葉。
映画の上映が決まったのは日本の政権交代が行なわれたから。自民党がすべてをコントロールしていた時代では無理だっただろう。

Posted at 時刻: 3月 16, 2010 on 2010/03/16 | 0 コメント | Filed under: ,

Big America

近所のマクドナルドでカリフォルニア・バーガーを食べてきました。これで、Big America シリーズの4つのハンバーガーのうち、ニューヨーク・バーガー以外のみっつを食べたことになります。

ニューヨークは食べてませんが、きっと最後のカリフォルニアと似た感じではないかと思います。きっとあんまり好きではない感じ。
それはつまり、野菜が入ってちょっとヘルシーな感じです。
分厚いパティの入ったボリュームたっぷりのハンバーガーを食べるのに、中途半端にヘルシーにしてみたところで気休めにもならない「屁のツッパリ」です。

ということで僕が一番気に入ったのは、最初に食べたテキサス・バーガーです。野菜なんか絶対入れてやんないっ!という決意の見える潔さに感服です。唯一野菜的なものとして入っているのがフライド・オニオン・チップですが、これのカリカリとした食感と風味が絶妙でした。マスタードソースもワイルドさを引き立てていて良かったです。

ロコモコ風のハワイアン・バーガーも、玉子好きの僕としては目玉焼きの味にはかなり惹かれました。

カリフォルニアが終わったら、またテキサスが戻ってくるそうなので、これはまた食べに行ってしまいそうな予感がします。

Posted at 時刻: 3月 15, 2010 on 2010/03/15 | 0 コメント | Filed under:

「誠に申し訳ありませんが」に潜むカオス

さっき職場の近所のイオンへ行ったとき、よくある呼び出しの館内放送が聞こえてきた。

「先程○○で□□をお買い上げになられたお客様。お伝えしたいことがございますので、誠に申し訳ありませんが1階インフォメーションカウンターまでお越しください。」

普段そんなの気にして聞くことなんてないのに、なぜそんなに耳に止まったかというと、ああいうのってアナウンサーみたいな若いお姉さんの声で、とても綺麗な声なんだけど、あんまり感情を込めてないフラットな感じのことが多いと思うんだけど、その放送の声はちょっと年配のおばちゃんっぽい感じの声で、その声が聞こえた途端に「んっ?」と耳がそちらに引き寄せられたのでした。

そのおばちゃんの声は、語尾とかいろんなところにちょこちょこと不意に感情が表現されていて少しもフラットじゃない。そして最終的に、本当に誠に申し訳なさそうな感じで「誠に申し訳ありませんが」と言いました。「誠に」の部分は軽く「まこっっっとに」的な感じでした。

で、感じたのは、そこまで申し訳なさげにされてしまうと、呼び出された方も、ものすごく申し訳ない感じになってしまうなぁということ。

「誠に申し訳ありませんが」を誠に申し訳なさげに言われると、言われた方も誠に申し訳なくなるというカオスが発生してちょっと面白かった。

Posted at 時刻: 3月 14, 2010 on 2010/03/14 | 0 コメント | Filed under:

品格

朝青龍の時も国母選手の時も
問題になっていたのは「品格」だった。

このキーワードをもとにして
マスコミを中心とした
世の「品格」ある大人たちが
前途洋洋たる若者を
よってたかってぶっ潰した。

しかしその大人たちの、その行動に
「品格」のかけらも感じられないことの方が
よっぽど問題だと思う。

この国の大人たちの「寛容さ」はどこへ行った?

Posted at 時刻: 2月 16, 2010 on 2010/02/16 | 6 コメント | Filed under: ,

ビーチマネー

bm-001_syou

Flesh News Delivery で知りました。

湘南ってこういう事を考えて
ちゃんとやっちゃうところが
カッコいいですよね。

スミからスミまで、すごく綺麗なシステムだと思います。
ビーチグラスを使ってジュエリーを作ってるお店もあります。

すごく綺麗。
ホントに綺麗。

Posted at 時刻: 2月 14, 2010 on 2010/02/14 | 0 コメント | Filed under:

見た目と中身について

実際に寒いかどうかよりも
寒そうに見えるかどうかが重要なときがあると思う。

寂しいのかどうかよりも
寂しそうに見えるかどうかが重要なときがあると思う。

小雨の中をランニングするとき
体の中から暖まっているので
本人はまったく寒くなんかないんだけど
その姿を見た友達の友達が
アイツすごく寒そうだったぞ
と言っていたのを友達から聞いて
もう小雨にランニングするのは止めるとか。

寂しい奴と思われるのが嫌で
映画やコンサートや喫茶店に
ひとりで行くことができないとか。

で、
もう寒くてしょうがない人や
寂しくて寂しくて死にそうな人にとっては
どう見えるかなんてまったく関係ない。

Posted at 時刻: 1月 31, 2010 on 2010/01/31 | 0 コメント | Filed under:

Try, try, try

優秀な木こりは
たったひとつだけ
大きな傷を持っている
結局のところ、ひとは失敗からしか学ぶことができない。

だからこそ、未知のものにトライする勇気が重要で
そこで失敗して得た苦い経験をもとに
その失敗を二度と繰り返さないことで
ステップアップしていく。

その一方で、世の中には成功の体験談があふれる。

しかし、成功談を語る人は
その道のある程度の熟練者であるし
その人が成功した状況と
自分の状況は違うことが多いので
その成功談のとおりにやって
うまく行くことはあまりない。

それでもやっぱり、世の中には成功の体験談があふれる。

それはきっと、成功談を語るのが気持ちいいのと
失敗談は、その失敗をどう克服したかを語らないと
イマイチ締まらないからだろうと思う。

失敗を克服して成功を導いたときには
その他の失敗から学んだ経験が
複雑に絡み合っていて
それを言葉にして表現するのはとても難しい
というのも、失敗談が出てこない理由かもしれない。

というわけで結局
今日もトライ・アンド・エラーを繰り返すしかないわけだ。

Posted at 時刻: 1月 30, 2010 on 2010/01/30 | 0 コメント | Filed under:

Townhouse : ELDINGOSCARSON.COM


ELDINGOSCARSON.COM (←パーマリンクではありません。SELECTED PROJECT の Townhouse がそれです。)

上の写真のスウェーデンの住宅を一目見てから、なぜだかずっと心に引っかかってはなれませんでした。それがなぜなのかずっと考えていて、昨日あたりにやっと、こういうことじゃないか、というのがわかったような気がするので、ちょっと書いてみようと思います。

写真を見ての通り、やたらとそっけない建物です。正面から見ると、1階はポーチの部分が切り欠かれていて、2階と3階に正方形の開口部があるだけの長方形です。
3階の開口にはエキスパンドメタルという工業的で安価な材料が張られています。その中はルーフバルコニーになっていて、屋根が抜けて空が見えています。2階の開口は、最近良くある「ガラスだけが嵌っているような印象にして開口を純化する」みたいなことはされていなくて、ただ普通にアルミのサッシュが嵌められています。開口の大きさや位置も、なんだかどことなくそっけない感じ。

子どもが画用紙に書いた四角い家の絵みたい、とでも言えばいいでしょうか。
しかしそんな何の変哲もない感じのこの家が、ちょっと古めかしくて可愛らしい雰囲気の漂う町並みに挿入されているからなのか分かりませんが、僕にとってはとても鮮烈な印象を残したのです。

インテリアも変わらずそっけない感じです。ふたつの吹抜のある、とても単純な構成です。断面も、単純に横に3等分した感じ。1階の床は、ただ土地なりに奥へ向かってすこしずつ上がっていっています。中庭を挟んで平屋のスタディスペースがあります。
階段は、横から見ると稲妻型になっていたり、手すりがやたらと緊張感があったりとかしなくて、段の部分は単純に斜めにかけた鉄板でできていて、手すりは丸いパイプでできていてエキスパンドメタルが張られています。

壁や階段や天井は白く塗られています。でも真っ白で緊張感のある感じではなくて、住人が持ち込んだ家具やクッションや絵などが適度にカラフルで、とても気楽に生活を楽しんでいる感じが漂っています。2階と3階の道路側と中庭側に面した大きな窓は、造り付けの家具で奥行を作り、窓辺に腰掛られるニッチになっていて、とても居心地が良さそうです。そして全体が、文句なく心地の良い空間に仕上がっています。

この家が、なぜこんなに心地よさそうなのか、その理由が良くわかりませんでした。それが最近、ふたつの文章を読んでわかったような気がしています。

ひとつはナガオカケンメイさんのブログで読んだこの文章。

そしてもうひとつは、たしか日経アーキテクチャに載っていた、青木淳さんが既存ビルをギャラリーに改装するときの照明計画の話。

どちらも、デザインすることによって居心地が悪くなってしまうことについて書かれています。「ほらほら見てみて、カッコいいでしょ。」的にデザインされた空間が、とても居心地の悪いものであることは結構みんな気づいているはずです。

青木淳さんは何の変哲もない普通の照明器具を使って「とても注意深く、デザインした形跡が残らないようにデザインした。」みたいなことを言っていました。しかしそれでも「ちゃんと印象に残る空間になるように設計した。」みたいなことも言っていました。
そっけない印象になるように、ものすごい労力をかけて現場で照明器具の位置を調整したそうです。

きっとこのスウェーデンの住宅の設計者も、同じようなことを考えて設計したんじゃないだろうか。

Posted at 時刻: 1月 22, 2010 on 2010/01/22 | 0 コメント | Filed under: