さ行とざ行の日本語的ひびき

最近、車の中で佐野元春さんのスポークン・ワーズのライブアルバムを聴くことがあります。最初とっつきにくかったのですが、10連奏の CD チェンジャーで定期的に再生されるのを聴いているうちに、だんだんと好きになってきました。

もしかすると、最近ハマって欠かさず見ている「佐野元春のザ・ソングライターズ」の影響もあるのかもしれません。この番組の中で披露されるスポークン・ワーズは、まったくの朗読で、まったくの無伴奏なのですが、CDになっているものは、ずべて伴奏つきで朗読と密接に絡まり合っています。きっと詩をじっくりと味わうためには前者のほうが向いているので、番組コンセプト的にはこのほうがいいのでしょう。

ただ、伴奏つきのスポークン・ワーズであっても、詩をじっくりと聴くべきなのだろうとは思うのですが、運転中にいろんなノイズの中で、じっくりとCDの音に集中しているわけにはいかない状況で聴いていると、朗読が単なる音としてしか聴こえてこないことがあります。
そんな時に気づいたのが、さ行とざ行の音の強いひびき方です。意味のある言葉として聴いていたときにはあんまり気づかなかったのですが、音として聴いたときに、さ行とざ行の音だけが抜き出されたように聴こえてきたのです。

佐野さんはこのことに気づいていて、それを強調するように詩を書いているのではないか、ということにも気づきました。例えばこんなふうです。

僕は走った。
走って走って走って、
岬の端の橋のたもとまで走った。

「はし」という音のひびきの面白さが強調されています。この詩の朗読を、単純に音として聴くと(ちょっと難しいかもしれませんが)「し」の音だけが耳に残って不思議なひびきとリズムを作り出していることに気づくと思います。

ずっとまえに、日本語を全くしゃべれないアメリカ人が、日本人の真似をして日本語のようなものを喋るという芸を見たことがあるのですが(ちょうどタモリの4ヶ国語麻雀みたいに)、その人はやたらとさ行とざ行を強調していました。そのときはそんなふうに聞こえてるのかなぁ、くらいにしか思えなかったのですが、今頃になって理解できたような気がします。

井上陽水さんがあるテレビ番組でこんなことを話していました。

「曽根崎心中」という言葉がひびきが好きで、なぜ好きなのがずっと考えていたら、さ行とざ行の短い繰り返しだった、ということでした。それに気づいてとてもうれしくて、とても興奮した、そうです。

娘の依布サラサさんがラジオ番組に出演したときに、親子の会話はどんなふうか尋ねられたのに答えて、父親が食卓で興奮したようすで上の話をし始めて、わぁすごいねぇ、みたいに盛り上がった、というエピソードを披露していたので、その時の興奮は相当なものだったのでしょう。

佐野元春のザ・ソングライターズ」のRHYMESTERの回で宇多丸さんが言っていたのですが、ラップの世界ではこういうひびきの強い音のことを「キックの効いた音」というようで、こういう強い音で韻を踏んでいくと効果が強いのだそうです。

ということで、こうやって書いてきたら、僕が気づいたことはもうすでにたくさんのひとが気づいていて、どうってことないことに気づいたのですが、気づいたときにはちょっと興奮したんだから、こうやって長々と書いてもしょうがないよね、ということで。

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