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建築はほほえむ ― 目地・継ぎ目・小さき場 / 松山 巌

あなたが好きだな、気持ちがいいな
と感じる場所について考えてみよう。

このフレーズを繰り返しながら、とても軽やかに進んでいきます。
そのなかで何回か目からウロコが落ちました。

まずコレ。有名なコルビュジェの言葉を取り上げたところ。

「住宅は住むための機械」とは、20世紀を代表する建築家ル・コルビュジエが1924年に語った有名な言葉だ。
彼はしかし、その言葉を住むために必要な、住宅の「ふたつの目的」の「第1の」目的としてあげたのである。「作業における迅速、正確さを得るために私たちに効果的な助力を供すべく定められた機械、身体の様々な欲求 ー 快 ー を満足させるための親切で行き届いた機械」として「住宅は住むための機械」だと語った。
ところが、ル・コルビュジエが住宅にとってほんとうに重要な目的だと語ったのは。じつは第2の目的だった。
住宅は次には沈思黙考のための肝要必須の場でもあり、そこには美が存在し、人間にとって欠くことのできない静逸を心にもたらす、そんな場でもあります。……住宅は或る種の精神のためには美の感覚をもたらすべきだと言っているのです。(「エスプリ・ヌーヴォー」山口智之訳)
ル・コルビュジエは第1の目的「住宅は住むための機械」をもたらすのは技術者の仕事であり、第2の目的の中にこそ「建築がある」と発言した。つまり第2の目的こそ建築家の仕事だと彼は表明した。にもかかわらず、「住むための機械」という言葉だけが独り歩きし、広く流布したのは、20世紀がテクノロジー礼賛の世紀であり、テクノロジーへのおそれが生まれた世紀だったからだ。

これにはビックリでした。こんなの聞いたことなかった。大学の西洋建築史の授業で、こういうふうに教えてるところってないんじゃないだろうか。でもこれを読んで、逆に納得がいきました。だって「住むための機械」という言葉とコルビュジェの作風がうまく結びつかなくて、ずっと違和感を感じていたから。この言葉はきっと、合理性を追求して、華美な装飾を排した「インターナショナル・スタイル」を実現するための方便だったのではないだろうか、という気もしてきます。

そしてもうひとつ。

目地が「笑う」、継ぎ目が「笑う」という言葉も、建築の世界ではよく使われる。目地がゆるみ、継ぎ目が広がったという意味だ。
「笑う」のは悪いことだろうか。不合理なことだろうか。
地震などで力が急に加わったとき、目地は「笑う」。
長年、風や雨に晒されてきたとき、継ぎ目は「笑う」。
「笑う」のは建物が生きているからだ。
(中略)
建物と建物のすきまや道路も目地であり、継ぎ目である。
街が生きている限り、
街の目地も継ぎ目も、
いつもどこかしら「笑って」いて、
どこかしら緊張している。
街のなかで、もしも子供たちが遊べないとしたら、街の目地や継ぎ目はいつも緊張しているのだ。緊張しているのは、時間と場所のすきまがないためだ。

僕の好きなテレビ番組「世界ふれあい街歩き」では、とにかく執拗に路地を攻めます。路地には、そこに沿って建つ住まいから生活が溢れ出し、賑わい、活気づく。頭の上には洗濯物がはためき、老夫婦が手すりに腰掛けてひなたぼっこをし、子供たちは自転車を乗りまわしたり、サッカーに興じたりする。そしてその路地にいる人達に尋ねると必ずこう答えます。「暮らしやすいこの街が大好きだ」。

そうだ目地だ。モノとモノが接するところに生じる「目地」「継ぎ目」。建築の設計で詳細部分の設計のことを「納まり」といいますが、以前に勤めていた設計事務所の上司に『材料と材料が接するところに「納まり」が出てくるから、そこを捉えてひとつひとつ詰めていくと建物が納まっていくんだ』と教えられたことがあります。その納まりは建物を飛び出して街へ都市へと広がっていく。

すべては小さな目地からはじまっている。

建築はほほえむ―目地・継ぎ目・小さき場
発売元: 西田書店
発売日: 2004/04
売上ランキング: 155953

コメント

  1. 神は細部に宿る。

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  2. そのとおりですね。
    でもその「細部」とはディテール、つまり部分詳細設計のことだと思っていました。
    しかしこの本では、物と物が接する目地や継ぎ目そのものが重要だといっていて、そのことが衝撃的だったのです。

    返信削除

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