はじめて考えるときのように / 野矢 茂樹

いま大活躍中の若手建築家、サポーズデザイン谷尻誠さんの愛読書だということで買ってみました。谷尻さんは新しい建築のアイデアを考えるときに、たびたび取り出しては繰り返し読んでいるそうです。

考える 」ということについて、とことん考えたことを書かれた本です。
 「哲学的道案内 」となっているので小むずかしい内容かと思われるかもしれませんが、とても平易な文章で、ところどころにユーモア(村上春樹的)を交えながら書かれているので、とてもすんなりと読めて、とてもすんなりと内容がはいってきます。

「考える」ってどういうことでしょう? 「考えている」状態ってどういう状態でしょう? この本を読むと、「考える」というのは、ウンウンと唸りながらアイデアをひねり出そうとすることではない、ということがよくわかります。

考えるためには、まず考える対象、つまり問題を理解する必要があります。すぐに答えが出るような問題については考える必要がありません。学校のテストの問題のように、あらかじめ答えが用意されていて、解法の道筋を理解してしまえば解ける問題については、この本では「考える」対象にはなっていないようです。

と書き始めてみましたが、なんだかうまく説明できそうにないような気がしてきましたので、この本でそのあたりのことが書かれた部分を引用してみます。

ただお風呂に入っても、ぼくなんか「ウー」とか言うだけだけど、一度言ってみたいもんだ。ヘウレーカ!
でもそのためには問題をかかえていなくちゃいけない。アルキメデスは問題をかかえて、ビンビンにチューニングしてあったから、言えた。結果的に、お風呂に入ることが彼にとって一番効率的な考え方だったことになる。
「考える」てのは何したっていいんだ。

「スキップする」というのは特定の行為の型だけど、「考える」ってのはそれとぜんぜん違って、何か「考える」ことに特徴的な行為の型ではない。「考える」ということばは、そもそも何かすることに対してつけられた名前じゃないんだ。それはいろいろなことをすることだし、何もしなくたっていい。ただ、問題をかかえ、ヘウレーカの呼び声に耳を澄ますこと、研ぎ澄ますこと。
8年間、ひとつの問題をずっと考え続けていたっていうのも、だから、けっして嘘じゃない。その人はただひたすら、その問いを呼びかけ、かすかに聞こえるこだまに耳を澄ましていた。そしてほかの音がなるべく耳にはいらないようにしてたってわけだ。

問題をかかえこんでいる人にとっては、なんでもかんでもその問題に結びついてくる。お風呂にはいるのは、つまり体を洗って、お湯につかってあったまる、そういうことだけど、それが王様の冠なんかに結びついてくる。
逆に言えば、なんにもほかのことと結び付けないで、お風呂をお風呂それだけのものとして楽しむというのが、なーんにも考えないでお風呂に入るってこと。いや、お風呂ぐらいそうしたいものだけどね。じっさい、考える人の不幸はそこにある。お風呂をお風呂だけで、食事を食事だけで楽しめなくなる。見るもの触れるものが、その問題に関係した顔つきになってくる。自分のまわりのものごとが問題に彩られてしまう。
そして、「ヘウレーカ」の声を待つ、過敏な楽器みたいになっている。

この文章は、この本の第1章のわりと最初のほうに登場します。このあとも延々と考えることについて考えていきます。6章まであります。このあと、論理的思考について、ことばを鍛えることについて、外へ出ること、話し合うことの重要性について書かれています。つまり、うまく考えるために、考える技術について書かれているわけです。でも最初の、引用した部分の衝撃が大きくて、あとの部分はちょっとかすんでしまった印象です。
この本を読んでわかったのは、考えるときに重要なのは、頭の中から引き出してくるために知識をしっかりと蓄えること。問いそのものに対して問い直すこと。そして話し合うことによって問いの核心に近づいたり、考えを深めたり定着させたりすること。

そしてさらにわかったのは、僕がここ数年、日頃タンブラーやこのブログでやっていることは、知識を吸収したり、考えをかたちにしたり、話し合いによって考えを深めたり核心に近づいたりという作業を、もしかするとかなり効率よくできているかもなぁということでした。
そしてそれに気づき、そう思えたことは、かなりうれしかったかもしれません。


はじめて考えるときのように―「わかる」ための哲学的道案内
発売元: PHPエディターズグループ
発売日: 2001/02
売上ランキング: 129993


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