最期の言葉

「最期」とは、「最後」と読み方は同じでも違うことばです。「最後」にはいろいろありますが、「最期」は人生の「最後」の瞬間のこと。
偉人たちの「最期の言葉」を集めたサイトがありました。なかなか興味深かったので、思いついたことを書いてみます。

ほとんどが自分の死期をさとり、最期を看とってくれる人にたいして自分の最後の言葉として語っているものです。まだ死にたくないと、あからさまにジタバタしているものや、もうそれはやりつくして諦めたのか、死んだあとの自分の処遇に対する望みを語っているものが多いように思います。いずれにしても、自分がまもなく死ぬことがわかっているために、激しく、あるいはそこはかとなく、死に対する恐怖や苦しみがにじみ出ているように思います。

そんな「死期をさとってる」系の中で僕的にピンときたのがカールライスさんのこれ。

なるほど、これが死というものか。ところで……。

カールライスさんがどんな偉人なのかわからないところがアレですが、なかなか味わい深い「最期の言葉」だと思います。ちゃんと「かーるらいす」と入力しているのにもかかわらず、僕が愛用している「Google 日本語入力」によって勝手に「カールルイス」と変換されてしまう可哀想なカールライスさんですが、かなりユニークなことばで死を察知したことを伝えながら、それでもまだ別な話を続けようとしたところでプツリと亡くなっています。死を悟りながらも、まだまだ生きる気満々です。そばにいた人が「あっ。えっ、あれっ? 死んでる?」ってなりそうです。
僕がピンとくる「最期の言葉」はそういうものが多いことに気づきました。どうも僕はそういう死を迎えることを望んでいるようです。
事故とかで突然死んじゃうのは絶対イヤで、病気で長いあいだ寝たきりになって死ぬのもイヤ。理想としては、80歳くらいで、ちょっと風邪をこじらせて、家の布団で寝ていて、たまたま世話をしにきた家族の誰かと軽い会話をかわしながら、いつの間にか死にたいです。かなり高い理想であることは承知してます。これを実現するための第一の条件は「自分の死を察知してない」ということです。偉人たちのことばの中にも「察知しない」系がいくつかあります。一番ピンときたのが、画家ピカソのこれ。

なにか飲み物をくれ。

ほぼ僕の理想に近いと思われます。まだまだ生きる気満々。長いあいだ僕の中でナンバーワンの「最期の言葉」だったのですが、これを越えることばが見つかりました。日本の喜劇作家で東京都知事も務めた青島幸男さんのこのことば。

ママ、ビール飲もうよ

ピカソと状況はすごく似ていて、望んでいることも似ているのですが、その差は歴然です。ピカソは自分にことしか考えていませんが、青島さんは奥さんとおいしいビールを飲んで楽しもうとしています。

僕は、こんなふうに死にたい。


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