世界ふれあい街歩き / アヌシー

「アルプスが見える街」シリーズの第1回目。このシリーズ、かなり期待できそうです。

アヌシーは「アルプスのベニス」と呼ばれるフランスの街で、そう呼ばれるとおりに街の中にとても感じのいい水路が巡ってます。巡ってます、と書いたものの、その水路はベニスのように入り組んで入り乱れてるわけではなくて、シンプルに湖から流れ出る川が1本流れているだけで、その支流がちょっとあるくらい。ティウー川というその川は、湖の水位を一定に保つことを担っているそうで、流れはとても穏やかで、まるで流れてないように見えるほどです。
そしてその水はヨーロッパ屈指の透明度を誇るそうで、見てるとつい手ですくって飲んでみたくなります。光線の加減で、水面は爽やかなグリーンやブルーに光って見えてとても綺麗です。白鳥が泳いでたりなんかもするし。

シンプルな水路ではありますが、さすが「アルプスのベニス」と呼ばれるだけのことはあって、水路に面した街路には何百年も前から建つ石造りの建物が並び、いい感じに橋がかかって、つい巡ってみたくなる、ほどよい複雑さを感じさせます。
これはヨーロッパの街の人たちに共通することですが、みなさん街の古さや建物の古さをとても自慢気に語ります。古い街や建物に、しっとりとした歴史を感じながら住むことを心から楽しんでいて、設備の古さなどによる不便さは苦にならないよ、という話も、何度も耳にしたことがあります。

しかし、この街に漂う爽やかさや、ゆったりとのんびりした雰囲気は感動ものです。僕の中で、一度は行ってみたい街のひとつに登録されました。ベニスもそのひとつなのですが、ベニスの魅力はやはり、迷路のように入り組んだ水路や街路だけでなく、街全体に漂う淫靡な猥雑さや、地盤沈下や海面上昇によって沈みつつあるという終末感にあると思います。そんなベニスでも、その街に住む人々は口々に「不便さは苦にならない」と、歴史ある街に住んでいることを自慢します。みんなこの先の歴史の一部となる日常を楽しんでいる感じがします。

その一方で、福島の幼稚園児たちの日常は、外で遊ぶことを制限され、いくら暑くても長袖を着て、息苦しくてもマスクの着用を義務づけられています。

なんだかやりきれない気分にさせられますね。

Posted at : 13:45 on 2011/06/14 | 0 comments | Filed under: ,

建築はほほえむ ― 目地・継ぎ目・小さき場 / 松山 巌

あなたが好きだな、気持ちがいいな
と感じる場所について考えてみよう。

このフレーズを繰り返しながら、とても軽やかに進んでいきます。
そのなかで何回か目からウロコが落ちました。

まずコレ。有名なコルビュジェの言葉を取り上げたところ。

「住宅は住むための機械」とは、20世紀を代表する建築家ル・コルビュジエが1924年に語った有名な言葉だ。
彼はしかし、その言葉を住むために必要な、住宅の「ふたつの目的」の「第1の」目的としてあげたのである。「作業における迅速、正確さを得るために私たちに効果的な助力を供すべく定められた機械、身体の様々な欲求 ー 快 ー を満足させるための親切で行き届いた機械」として「住宅は住むための機械」だと語った。
ところが、ル・コルビュジエが住宅にとってほんとうに重要な目的だと語ったのは。じつは第2の目的だった。
住宅は次には沈思黙考のための肝要必須の場でもあり、そこには美が存在し、人間にとって欠くことのできない静逸を心にもたらす、そんな場でもあります。……住宅は或る種の精神のためには美の感覚をもたらすべきだと言っているのです。(「エスプリ・ヌーヴォー」山口智之訳)
ル・コルビュジエは第1の目的「住宅は住むための機械」をもたらすのは技術者の仕事であり、第2の目的の中にこそ「建築がある」と発言した。つまり第2の目的こそ建築家の仕事だと彼は表明した。にもかかわらず、「住むための機械」という言葉だけが独り歩きし、広く流布したのは、20世紀がテクノロジー礼賛の世紀であり、テクノロジーへのおそれが生まれた世紀だったからだ。

これにはビックリでした。こんなの聞いたことなかった。大学の西洋建築史の授業で、こういうふうに教えてるところってないんじゃないだろうか。でもこれを読んで、逆に納得がいきました。だって「住むための機械」という言葉とコルビュジェの作風がうまく結びつかなくて、ずっと違和感を感じていたから。この言葉はきっと、合理性を追求して、華美な装飾を排した「インターナショナル・スタイル」を実現するための方便だったのではないだろうか、という気もしてきます。

そしてもうひとつ。

目地が「笑う」、継ぎ目が「笑う」という言葉も、建築の世界ではよく使われる。目地がゆるみ、継ぎ目が広がったという意味だ。
「笑う」のは悪いことだろうか。不合理なことだろうか。
地震などで力が急に加わったとき、目地は「笑う」。
長年、風や雨に晒されてきたとき、継ぎ目は「笑う」。
「笑う」のは建物が生きているからだ。
(中略)
建物と建物のすきまや道路も目地であり、継ぎ目である。
街が生きている限り、
街の目地も継ぎ目も、
いつもどこかしら「笑って」いて、
どこかしら緊張している。
街のなかで、もしも子供たちが遊べないとしたら、街の目地や継ぎ目はいつも緊張しているのだ。緊張しているのは、時間と場所のすきまがないためだ。

僕の好きなテレビ番組「世界ふれあい街歩き」では、とにかく執拗に路地を攻めます。路地には、そこに沿って建つ住まいから生活が溢れ出し、賑わい、活気づく。頭の上には洗濯物がはためき、老夫婦が手すりに腰掛けてひなたぼっこをし、子供たちは自転車を乗りまわしたり、サッカーに興じたりする。そしてその路地にいる人達に尋ねると必ずこう答えます。「暮らしやすいこの街が大好きだ」。

そうだ目地だ。モノとモノが接するところに生じる「目地」「継ぎ目」。建築の設計で詳細部分の設計のことを「納まり」といいますが、以前に勤めていた設計事務所の上司に『材料と材料が接するところに「納まり」が出てくるから、そこを捉えてひとつひとつ詰めていくと建物が納まっていくんだ』と教えられたことがあります。その納まりは建物を飛び出して街へ都市へと広がっていく。

すべては小さな目地からはじまっている。

建築はほほえむ―目地・継ぎ目・小さき場
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発売日: 2004/04
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Posted at : 15:40 on 2011/06/04 | 2 comments | Filed under: ,

グッドタイムス&バッドタイムス / 佐野元春

3年前に旭川郊外の田園地帯から、都心部の住宅街へ移り住んできた。 そして昨年から小学校のPTAの仕事を引き受けている。最初の年はまだ片足を突っ込んだ程度だったけれど、今年は胸のあたりまでどっぷりと浸かった感じ。
PTAとは別に、これは引っ越してきた最初の年から、小中学校の「おやじの会」というのに参加している。毎月、例会と称して飲み会があったり、夏には親子キャンプをしたり、地域のお祭の縁日に出店したり、活発に活動している。
郊外に住んでいた頃にも、できるだけ地域の行事には参加するようにしてはいたけれど、都心部に越してから知り合いの数が爆発的に増えたと思う。郊外にいたころに知り合ったひとたちの半分はお年寄りばかりだったし。

そこに加えて4月から自宅で仕事をするようになって、娘の幼稚園の送り迎えや、週に2〜3回は夕食をつくるようなってからはスーパーへの買出しなどを、これは季節のいいあいだだけになると思うけれど、自転車でいくようになった。娘はぜったい自転車のほうが喜ぶし、僕もうしろから娘のご機嫌な鼻歌が聞こえてくるのが好きだし。車で走っていた同じ道を自転車で走るだけで、ずいぶんと見えてくる景色が変わるものだ。この時期の旭川は花盛りで、道路脇の家々の庭先に咲く花々を見るのが楽しい。

そんなふうにして街を自転車で走っていると、ときどき知り合いとすれ違ってあいさつを交わすことになる。そのほとんどがPTAで知り合った人たちばかりで、そうやってあいさつを交わすたびに、なんだかちょっとずつ気分が上がってくることに気づく。そして思い出したのが、むかし聴いた佐野元春のこのフレーズ。

グッドタイムス&バッドタイムス この街で
グッドタイムス&バッドタイムス 繰り返せば
ウィンクの数またひとつ 増えていく

僕がウィンクすると気持ち悪がられるので、軽く会釈するくらいだけれど。

とはいえ、かなり増えてきた僕の「ウィンクの数」も、幼稚園にお迎えにいった帰り道、娘が下校途中の小学生の友達と交わすあいさつの数にはまだまだかなわない。


    BACK TO THE STREET
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    Posted at : 10:38 on 2011/06/02 | 0 comments | Filed under: , ,