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「当たり前」じゃない「当たり前」

この前、「当たり前」が増えすぎると世の中が悪くなるんじゃないか、ということを書きましたが、この前書いたのちょっと違う「当たり前」の良くないところに気づきましたので書いてみたいと思います。

きょう子どもが宿題をやっていて、わからないところがあるので教えて欲しいと言われて教えていたのですが、子どもが何をわからないのかがわからなくて困りました。僕にとってはそういうことってこれまでにもよくあったし、みなさんもよく経験されていると思うのですが、 きょう僕は、はたと気づいてしまいました。それはこの前「当たり前」について考えたからかもしれません。そう、それはつまり、僕にとっての「当たり前」が障害になっていたのではないかと気づいたということです。

要するに僕が当たり前だと思っていることも、子どもにとってはちっとも当たり前ではなくて、それで「なにがわからないのかわからない」ということが起こるのです。そしてこれはきっと、相手が子供でなくても起こることです。僕の当たり前と相手の当たり前は、違って当たり前なのです。

ひとになにかを教えたりするとき、このことを肝に銘じておくとうまくいくことがありそうです。 それにこの「当たり前」を「常識」に置き換えたりすると、さらに深いことになりそうです。「当たり前」や「常識」をちゃんと疑うことができると、いろんな可能性が一気に広がりますね。