自然保護について考えるときに僕が考えること

最近、自然保護についてかなり真剣に考えさせられることがありました。普段から自然については関心を持っているつもりでしたが、これを機に突き詰めて考えてみた結果、これまでモヤモヤしていたものの輪郭がくっきりしてきて、ある部分についてはこれまで漠然と抱いていた意見とは別の意見に落ち着くことになったので、ここにまとめておきたいと思います。

まず第一に、人間が経済活動を行う以上、その過程において、多かれ少なかれ確実に自然を破壊してしまうのだという、誰がなんと言おうと決して揺らぐことのない事実に気づきました。そして世界の現状をみるかぎり、 人間が経済活動を行うことをやめることはできないであろうという事実も認めざるを得ません。

そして第二に、東北の震災でも現実を突きつけられたように、自然の力は人間の力とは比べようもないほどに強大であるということに気づきました。人間が自然に対して手を加えられるのはほんのわずかで、人間にとっては災害と呼ばれる自然の大きな力によって、人間が自然に加えた変化は一瞬にしてもと通りにされてしまいます。人間がいくら自然を破壊しようとも、自然にとってはたいしたことないように思えます。
ここで気づくのは、前の段落で気づいた「人間はどうしても自然を破壊してしまう」という事実はスッカリ帳消しになってしまうということです。

また、自然にとっての時間は人間にとっての時間と比べて、とてつもなく大きく緩やかだということに気づきます。地球の誕生からこれまでを一年に例えると、人間の祖先であるホモ・サピエンスが地球上に現れたのは、大みそかの夜11時37分になるそうです。
自然、あるいは地球にとって、時間という概念でみても人間はこんなにちっぽけな存在なのです。たとえ人間が熱帯雨林を伐採して野原にしてしまっても、100年後もしくは200年後には自然の力によってすっかりもと通り熱帯雨林になっているかもしれません。200年というと人間にとってはとてつもなく長い時間ですが、自然にとっては取るに足りない時間です。熱帯雨林は、人間がどうこうしても、しなくても、熱帯雨林に戻ったり、あるいは自然と砂漠になっていくのかもしれません。その大きな力に人間はとうてい太刀打ちすることはできないのです。

以上のことを考えると、人間が自然を保護しようとすることは、まったくもって自然に対しておこがましい行為だと言えます。地球のために自然保護活動をしてあげている、などと考えるのはまったくの間違いだと言えます。子孫のためによりよい自然環境を残すために活動する、というのも、ちょっとズレて見えてきます。
ただし、自然保護活動を否定するわけではありません。できるだけ今ある自然を汚さないようにつつましく生きることは素晴らしいことだと思います。しかし、地球のため子孫のためだからといって、自然保護活動を他人に押し付けるのは間違いだと思います。あくまでもそれは今その場所にいるそのひと自身のための活動だと思うのです。

というわけで、自然保護について掘り下げて考えていったところ、自分でも思いもよらなかったところに着地してしまい驚いてしまったというお話でした。


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