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「使いみちのない風景」がもたらすもの

このまえ札幌へ出張するときに、電車の中で読む本として本棚にあった村上春樹さんの「使いみちのない風景」を持っていきました。むかし一度読んだはずの本ですが、とても新鮮な文章と写真として楽しむことができました。頭の片隅にこびりついたように離れないけれど、そこから発展してなにかが始まるわけではない鮮烈な印象の景色というのがあって、村上さんはそれを「使いみちのない風景」と呼んでいるそうです。アントニオ・カルロス・ジョビンの「Useless Landscape」という曲の邦題が気に入って、そう呼んでいるのだそうです。

そんな文章を読みながら思い出したのが、糸井重里さんのことば「思い出したら、思い出になった。」でした。ことばというよりも本のタイトルですが。この本は「ほぼ日」で連載している「今日のダーリン」と「ダーリンコラム」から抜粋された文章と、同じく連載している「気まぐれカメら」の写真をまとめたものです。この本の内容はどうあれ、僕にはこの本のタイトルがずっと頭にこびりついて離れないのです。思い出ってたしかにそういうものだなぁと、ポトリと目からウロコを落としながら気づいたのです。これに気づいてからというもの、なにかイベントのあとにチラホラ耳にする「いい思い出作りになりましたねー」みたいなコメントには違和感を覚えざるを得ないからだになってしまいました。

そんなことを考えながら、さらに思い出したのが、ヴィム・ヴェンダース監督の「都会のアリス」に登場した、ホテルの部屋の電気スタンドの写真を撮る男のことでした。いっしょにいた少女アリスに、どうしてそんなものの写真を撮るのか聞かれると、記憶に残ることのないこういうものこそ写真として残しておくべきものなんだ、みたいに答えていました。わかったようなわからないような話だけれど。

最近タンブラーのダッシュボードに流れてきたことばで、こんなのがありました。
 「冴えない時間を一緒に過ごしたやつが友だちだと思う。
このことばがみんなからたくさんの共感を得ていることからもわかるように、どういうわけか人は、冴えない時間のことをあとからよく思い出すのです。そしてその時間をいっしょに過ごしてくれたひとは、その人にとってとても大切な存在になるのです。そんな、出来事といえるような出来事がひとつも起こらなかったような、取るに足りない時間のことが、どういうわけかあ…