反発しあう磁石のようなもの

中1の春に初めてクラスメイトの女の子からつきあって欲しいと言われた。でも「つきあう」ということの意味がよくわからなかった。つきあったらどんなことをするのかがわからなかったし、つきあうとそのあとしばらくして必ず「別れ」があるような気がして、そんなことだったら「つきあう」なんてことせずに、今のまま仲の良い友達のままいればいいんじゃないかと思った。
それでもやっぱりどうしてもと押し切られてつきあうことになり、交換日記を始めることになった。その女の子の書く字の綺麗さと文章の巧みさに比べて、自分の字があまりに汚く、文章も稚拙すぎて打ちのめされながらしばらく日記を交換したけれど、1ヶ月くらいで終わってしまった。「別れ」がやってきたのだ。
僕の方から距離をおいたのだ。その女の子はいつも粗野な振る舞いをすることが多く、ちょっと不良っぽかった。でも日記の字や文章が表しているように、中身はとてもきちんとしていてかわいらしい女の子だった。そのギャップが意外だった。つきあう前にクラスで隣の席になって話をして仲良くなったときにも同じことを感じていた。
ある時、その女の子が学校で大きなケンカをした。相手は男子生徒たちの中でも一目置かれている野球部員のひとりだった。僕はそのときその騒ぎを遠くから眺めていて、誰が騒ぎを起こしているのか知らなかった。そのあと教室でその女の子が荒い息をしながら何人かの女の子たちになだめられているのを見て、その騒ぎを起こしていたのがその女の子だったことを知った。僕がその女の子と距離をおくことに決めたのはそれが理由だった。
その女の子が絶対に超えてはいけない一線を超えてしまったような気がしたのだ。いま思えばそのケンカがどんな理由で起こったのか知りもせずに(いまだに知らない)そういう決断をしたのは良くなかったような気もするけれど、中1の僕には精いっぱいの決断だった。
そのあとその女の子は誰にも手の付けられない不良へと変わっていった。僕はそのきっかけをつくってしまったような気がして、それにその女の子のギャップの裏側をよく知ってもいたので、いまだに申し訳ない気持ちを抱き続けている。

最近、男女に限らず人と人は反発しあう磁石のようなものだと思うようになった。反発するかしないかの程よい距離を置いていればずっとそばにいつづけられるのに、近づきすぎると強く反発して遠くへ離れてしまう。
ただ、そんなことわかったところで、そういう人があらわれたときにはやっぱり近づきすぎてしまうのだけれど。


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