ヨルタモリ的革新

この前の日曜日、9月20日をもって「ヨルタモリ」が終了してしまいました。大好きなテレビ番組で毎回欠かさず録画して観ていただけに残念でなりません。この心の空白は、10月から「孤独のグルメ」の新シリーズが始まる期待感で埋めることにして、今日はこの「ヨルタモリ」が起こした革新性について書いてみます。

まず第一に、宮沢りえの存在です。彼女はこの湯島あたりにあるバー「White Rainbow」というお店のママで、この番組には絶対に欠かせない存在です。
この番組が始まる前は「りえママ」といえば敏腕マネージャーでもある彼女の母親のことでしたが、この番組以降「りえママ」は彼女自身のことを指すようになりました。こんなママのいるバーがあったら身を滅ぼすまで通いつめる自信があります。
テレビ局からタモリさんに番組制作の打診があった時に、共演者として宮沢りえが出演するならやってもいいと答えたという話がありますが、これがこの番組を成功へと導きました。宮沢りえがこんなに魅力的ないい女になっているということを世に知らしめたことが、この番組が成し遂げた大きな革新のひとつと言っていいでしょう。

次にゲストの取り扱いに関する革新性について書いてみます。
この番組の出演者は、宮沢りえ扮するバーのママと、そのバーの常連客としてタモリ扮するジャズ喫茶オーナーの吉原さんや建築家の近藤さんなどがいます。そこへ一見客として週替りのゲストがやってくるのですが、その他に超常連客として毎回欠かさずカウンターのど真ん中に座るのが能町みね子さんです。この人をここに座らせたのがこの番組のスゴいところだと言えます。僕はこれまたほとんど欠かさず「久保みねヒャダこじらせナイト」という番組を「久保ヒャダこじらせナイト」だった頃から見ているので、この方の存在はよーく知っているのですが、一般的にはあんまり知られていない人だと思います。オカマでエッセイストで漫画家です。久保ミツロウさんとラジオもやっていたりします。独特な感性で鋭い発言をします。番組の始まった当初は緊張のせいか発言が少なかったのですが、徐々に緊張もほぐれてきたのか要所を締める発言でアンカーパーソン的存在となりました。「久保みねヒャダこじらせナイト」とこの番組とは出演者が完全にかぶっているので、なにか深いつながりがありそうです。
さらにこの番組では、カウンター奥の席に毎回一人か二人、音楽担当ゲストともいえるお客さんが座りました。タブラ奏者のU-zhaan やフラメンコギター奏者の沖仁あたりを軸にして、あまちゃんで有名な大友良英や、ヒャダイン、高橋幸宏、小室哲哉(!)などが座り、毎回バーの中で自然発生的かつ突発的に行われるセッションで重要な存在となりました。このセッションを見るたびに、音楽ってこういう風に存在するべきものなんだなぁと思い知らされました。

さらに、バーの中でお客さんたちがみんなで見ているテレビ番組という設定で流される短い番組の完成度の高さも革新的です。タモリの「宮沢りえに叱られたい」という欲求を満たすために作られたかのような「連続 怒ラマ」や、プロのミュージシャンたちの演奏に合わせてタモリが即興で歌う「世界音楽紀行」、そしてさまざまな物議をかもした「クローズアップしすぎ現代」などがあります。中でも最終回の最後に放映され、最後のひとことでフラメンコギター奏者の沖仁を感動のあまりマジ泣きさせた「始点・終点」は、このままこれだけでレギュラー番組化してもおかしくないくらいの完成度の高さでした。

このように毎回盛りだくさんの内容で30分番組では惜しいくらいでした。終わってしまったことが残念でなりません。しかし、最終回の最後の最後に流された国際信号旗によるメッセージが「マタミテクレルカニャ」となっていたそうなので、期待して待っていることにします。

Posted at 時刻: 9月 26, 2015 on 2015/09/26 | 0 コメント | Filed under:

バタフライを泳ぐ意味とは

かねがね考えていたのですが、最近ようやく答えが出ました。

普通の人にとってバタフライとは、バタフライが泳げることを示したい人が泳ぐためだけに存在する、ということです。

普通の人とは、バタフライを専門にやってる水泳選手以外のすべてのひとを指します。

バタフライという泳法はもともと、左右対称であること、というルールしかなかった平泳ぎから派生したもので、クロールの動きを両手いっぺんにしたような強い手のかきと、体全体を使った強いキックを兼ね備えたもので、考案された当初は平泳ぎと同じ競技として泳がれていましたが、平泳ぎよりも圧倒的に速くて、いつしかバタフライで泳ぐ選手ばかりになってしまったので別競技となった、という歴史があるようです。

当初は最も速く泳げる泳法になるだろうと思われていましたが、どんな泳法で泳いでも良い「自由形」でも、今だにすべての選手がクロールで泳いでいます。これはオリンピック選手であってもバタフライという泳法のポテンシャルを引き出すには体力がまだまだ足りないからのようです。バタフライとはそれほど体力を要する泳法だということです。

たとえば学生の水泳部員であっても、バタフライを専門にやってる体力自慢の稀な人でない限り、バタフライを泳ぐことはあんまりありません。4泳法をまんべんなく泳ぐことができて個人メドレーをやってる選手でも、バタフライの練習をすることは少ないかもしれません。だってバタフライを泳ぐと、波をザブザブ起こして、まわりにとても迷惑だからです。そして水泳部員はみんなバタフライくらい泳げること知ってますから、自分がバタフライを泳げることをまわりに示す必要はないのです。

だからね、僕がよく行くプールでバタフライをザブザブ泳ぐ真っ黒(ぜったい日サロ焼け)な人がいるんですが、あなたがバタフライを泳げることはよーくわかったので、まわりが迷惑してるからバタフライを延々と泳ぎ続けるのはやめて欲しいのです。よろしくお願いしますー。

Posted at 時刻: 8月 09, 2015 on 2015/08/09 | 0 コメント | Filed under:

自宅のネットが(ほとんど)繋がらなくなった

7月2日の午前中に停電があって、すぐに復旧はしたんですが、その直後からネット環境に不具合が出始めました。どんな不具合かというと、Google と Facebook と Apple・Wikipedia、そして Youtube 以外のサイトに繋がらなくなってしまいました。Chrome でも Safari でも同じ状況で、iPhone からも同じでした。
どこにもまったく繋がらないのではなく、一部のサイトには今までどおり問題なく繋がるところが不可解です。光モデムや無線LANルーターのリセットはしてみましたが、状況は変わりません。アメリカにサーバーのある一部のサイトにだけ繋がるということではないかと思いますが、原因がサッパリわかりません。
このブログは Google の運営する Blogger というサービスを利用していますので、このように通常通り投稿することができています。

その日のうちに Facebook にこのことを書いて詳しい人に教えてもらい、DNS や IPv6 まわりはチェックしたのですが、どちらも問題はなさそうです。Google に繋がるので仕事で使っている Gmail を普段通りに使えるし、iPhone の電話回線を使えばネットにも繋がるので困り果てているわけではないのですが、Mac のソフトウェア・アップデートなどの際には困ると思うので復旧しないわけには行きません。

どのような対処法があるのか、詳しい方ぜひ教えて下さい。よろしくお願いします。

Posted at 時刻: 7月 06, 2015 on 2015/07/06 | 2 コメント | Filed under:

ドキュメント72時間 マイベスト3

NHKの「ドキュメント72時間」という番組が好きです。1年くらい前からときどき見るようになって、最近では毎回欠かさず録画してみています。ウィキペディアによれば

毎回ある1箇所の場所にこだわり、そこで起きる様々な人間模様を72時間(3日間)に渡って定点観測するという趣向のドキュメンタリーである。
ロンドンオリンピック中継を含めた、夏季特集番組を編成する都合によるつなぎ番組であった。
低予算でできそうなので、つなぎ番組だったというのには、なんだかちょっと納得できます。 しかしそんなことは関係なく、おもしろいのだからいいのです。

タイトルにベスト3と書きましたが、僕が気に入ったものを3つ並列で紹介してみます。

まず最初は「北の大地の学生寮」の回。
北海道大学の学生寮の3日間です。ここはただの学生寮ではなく、今では全国でも数少なくなった自治寮と呼ばれる寮で、施設は大学のものですが、運営をすべてそこに住む学生たち自身が行っています。そのおかげで食費を除いて光熱費込みの1ヶ月の寮費は1万円だそうで、驚きのひとことです。実は僕も大学時代に自治寮に住んでいたので、とても共感できました。ご想像どおり中はそうとう汚くて、そこばかりが目に入ってきますが、そんなことはどうでもいいのです。「水清くして魚住まず」と言ってのけた文学部所属という女子学生に拍手を送りたい。とにかくスミからスミまで楽しそうで、学生に戻ってあそこに住みたいと思いました。4月から娘がここに入りました。

次は「真夜中のアングラ 長屋」の回。
大阪千日前の味園ビルに夜な夜な集まる若者たちをとらえた3日間。ここに集まってくる人たちはみんな、ここ以外ではとても生きづらいだろうなぁと思える。しかしここではみんな輝いていて、ここがあってよかったねと、ウンウンうなずきながら見ました。いい映画やドラマを一本見終えた感じでした。

最後は「秋田・真冬の自販機の前で」の回。
秋田港にあるうどんとそばの自販機によってくる人たち。この自販機、一般的な感覚でいうと壊れてます。スープのお湯があふれます。取り出すときやけどするかも。取り出したあと入りすぎたスープをドバドバ捨てないと食べ始められません。味加減が気になります。しかし取り出し口に「お湯があふれます」と書いてあるからいいのである。これ食べてる人がみんな幸せそうでキュンキュンきます。食べてないけどゼッタイおいしいはずなので秋田へ行ったら食べてみたいけど、それまであるかどうか心配です。

調べてみたらデイリーモーションにあったので、ご興味のある方は削除される前にどうぞ。

Posted at 時刻: 5月 08, 2015 on 2015/05/08 | 0 コメント | Filed under:

「孤独のグルメ」マイベスト3

最近シーズン4が始まった「孤独のグルメ」ですが、皆さんはご覧になっていらっしゃいますでしょうか。僕は毎回欠かさずに録画して、次の日のお昼ごろにご飯を食べながら見ています。あれは深夜の空腹時に見るものではありませんね。きっと暴走が止められないと思います。リアルタイムで見ている人達のことが心配でなりません。

今日はそんな「孤独のグルメ」のマイベスト3を発表してみます。

まず第3位は、シーズン3の第3話「静岡県賀茂郡川津町の生ワサビ付きわさび丼」の回。
これはもう単純にこの「わさび丼」がやたらとウマそうだったから。このテレビシリーズで五郎さんが同じメニューをお替わりしたのは、後にも先にもこれだけだと思います。わさびを「まぁるく」すりおろす儀式をやってみたい。ツーンときてみたい。お替わりしてみたい。伊豆に漂う旅情にも惹かれます。
北海道には山わさびというものがあるのですが、これをちょっと前に知り合いからいただいて、山わさび丼にして食べてみました。美味しかったので知り合いから教えてもらったとおり、茎の部分を庭に植えて来年生えてきたのを採ってまたやってみようと思っているのですが、やっぱり本わさびとは香りが違うんだろうなぁと、遠くを見つめています。

続いて第2位はシーズン1の第5話「杉並区 永福の親子丼と焼うどん」の回。
これの場合、食べたメニューはどうでもよくて、まず最初に五郎さんが仕事やらなんやらで色々ついてなくてヘコんでるというところが重要。ヘコんだ状態でフラフラ歩いていてフラリと立ち寄った釣り堀で、ぜんぜん釣れずにさらにヘコんで、腹ペコになって隣接する食堂に入ると、昼間っから一杯ヤッてるおじさんにウンチク話をされる。ウンチク聞きながら腹がいっぱいになると、いつの間にかヘコんでた気分が元に戻って「よしまたガンバロっ」となって終わり。この「ひとりでごはんを食べて、ヘコんでたのが復活する」プロセスが、ひとりで仕事を始めた僕にはグッとくるのでした。そーだよねー、そーやって自分で処理するしかないよねー、と納得するのでした。あと、このドラマには「昼間っから一杯ヤッてるおじさん」がたくさん登場するけど、これも重要な要素だと思う。あこがれの存在。ただし五郎さんは下戸ってところも重要かも。

そして第1位はシーズン2の第7話「千葉県旭市飯岡のサンマのなめろうと蛤の酒蒸し」の回。
これも第2位と同じく最初に五郎さんがヘコんでます。それも完全に五郎さんのミスによる仕事の失敗で。その失敗が元で突然千葉の九十九里浜近くで一泊することに。ただ、翌日まで特にやらなければいけないことがないので海岸近くをフラフラと歩きます。このときの海をバックに孤独な男が歩く画が素晴らしい。僕が「孤独のグルメ」と聞いて頭に浮かぶイメージがコレです。「幸福に空腹を満たした」あと、最終的に「…失敗したから。この景色に出会えた…」となり、見事に復活するのです。

こうやって書いてみると、このドラマはまさに「孤独」と「グルメ」が見事に合体して、孤独な男が日々を乗り越えていく姿を描いたドラマだということがよくわかりますね。
8月9日土曜日の夕方には「博多出張SP」があるそうで、これには色々と期待です。

Posted at 時刻: 7月 23, 2014 on 2014/07/23 | 0 コメント | Filed under: ,

館内放送に芽生える自我とは

最近、特に用事がなければ、毎週土曜日の午後はプールへ行って泳ぐようになりました。まずサウナに入って、長いときは出たり入ったりしながら30分くらい入って、そのあと30分泳いで、そのあとまたサウナに入って帰ってきます。そんな僕のサウナライフ(←プールと違うんか)の中で最近気づいたことがあります。
そのプールでは毎時間10分間、すべての人をプールから出して休憩時間を取るのですが、その休憩時間の最初と最後に館内放送が入ります。「みなさまの事故防止と休憩のため、10分間の休憩時間を取ります。プールから上がってください。」という感じです。そのあとプールでの注意事項をいくつか読み上げます。その内容は毎回まったく同じなのですが、それを読む人の違いによって聞く側が受ける印象がまったく違うことに気が付きました。

ほとんどの場合、声の印象から想像するに40〜50代くらいの女性が読むのですが、その人はものすごくハキハキとキッパリサッパリと読みます。ちょっと早口で。そのちょっと度を過ぎたキッパリさ加減は、聞く側が思わず萎縮してしまうほどです。
その人とは別の、やはり40〜50代くらいの女性が読む場合もあるのですが、その人はちょっとネットリした感じで、語尾などにほんのりと「媚(こび)」のようなものがあって、可愛らしい印象で、これ読んでる時きっと口角が上がってるだろうなぁと感じます。
頻度はグッと下がるのですが、20代くらいの若い女性が読む場合もあります。彼女はまるで学芸会の劇のセリフのような、国語の授業中に教科書を朗読してるみたいな、まったくの無感情でフラットな印象です。誰かに心を抜かれてしまったかのようです。
さらに頻度が落ちるのですが、男性が読むこともあります。若い男性の場合もあれば、おじさんの場合もあるのですが、どちらの場合も、先ほどの20代くらいの若い女性ほどではありませんが、適度に感情が抑えられていてフラットな印象です。したがって男性が読んだ場合、その文章の意味以外にその放送から伝わってくるのは、その人の年齢はだいたいこれくらいかなぁという情報くらいです。

以上のことから僕が気づいたのは、まず、男性がこういう放送をする場合、誰が読んでもだいたいフラットな印象になるということ。そして女性が読んだ場合は、年齢によって大きく違うということ。結婚前くらいの若い女性の場合、必要以上に感情を消し去るようです。逆に結婚・出産を終えたくらいの女性の場合、必要以上に感情を込めてしまうようです。ものすごく「押し」が強いです。結婚前に引いてたぶん、余計に押しているかのようです。どこかの段階で突然、自我が芽生えるみたいです。

そういう意味で考えると、プロのアナウンサーの女性はいくつになってもフラットに原稿を読むことができていることに気づきます。またデパートなんかの館内放送で語尾がものすごく妙な感じになっていることがありますが、あれはきっと年齢によって自我が漏れ出してしまうのをカモフラージュするためなんじゃないかと思えてきます。

すべての女性は生まれながらにして女優だ、なんて話を聞いたことがありますが、なんだかそういうことなのかもしれません。

Posted at 時刻: 7月 14, 2013 on 2013/07/14 | 0 コメント | Filed under:

許す力

ずっと前にテレビでみた日本に住む外国人たちが日本での生活のことなどについて話す番組で、中国人と韓国人が日本の戦後賠償や歴史認識などについて怒りながら話し始めました。ひどいことをした日本のことが許せないというわけです。それを聞いていたある黒人男性が、我々黒人はつい100年ほど前まで白人社会で奴隷として扱われていて、解放運動をしているあいだはそりゃ色々あったけど、奴隷解放以降は白人たちとけっこう仲良くやってるし、奴隷として扱われていたころの賠償をしつこく求めたことなんて一度もない。あなた達はいったいいつになったら日本のことを許すんですか?と言いました。すると激しくまくしたてていた中国人も韓国人も、シュンとおとなしくなってしまいました。

ずっと前に品格について書いたことがありました。その時は「寛容さ」と書きましたが、それはつまり「許す力」です。「許容力」と言い換えることもできるかもしれません。あるいは「罪を憎んでひとを憎まず」という言葉もありますね。そういう力の大きさが、その人間の品格をつくりだすのだと思います。

僕は小学生のころ、母親に「あなたはホントに簡単に人を許すけど、それってなかなかできることじゃないんだよ。スゴいことなんだよ。お母さんにはちょっと真似できない。あなたのそういうところ、スゴく偉いと思うよ。」と褒められたことがありました。そんなふうに手放しで褒められることってあんまりなかったので、とても良く覚えています。でもその時はそんなふうに褒められても意味がよくわかりませんでした。

ずいぶんたって大人になってからようやくその意味がおぼろげにわかるようになってきました。ただ、意識してそうしているわけではなく、自然にやっていることなのでいまいちわかっていなかったと思います。でもこの歳にもなるとさずがにどうしても許せないひとのひとりやふたりはできました。そういうひとが出現したときに初めて「許す力」の存在を本当に認識できたのです。

この先いつか、そんなどうしても許せなかった人のことを許すことができる時がくるかもしれません。そのとき僕は次のステップへ進めるような気がしています。

Posted at 時刻: 6月 23, 2013 on 2013/06/23 | 0 コメント | Filed under: ,